チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年11月12日
RFAからギャロ・ドゥンドゥップ氏へのインタビュー
RFA(ラジオ自由アジア)がダライラマ法王の長兄ギャロ・ドゥンドゥップ氏へインタビュー。
ギャロ・ドゥンドゥップ氏と言えば59年以後、長男で最近亡くなられたタクツェル・リンポチェと共に、様々な重要な役割を演じて来られた。
特に79年以降の中国との接触においては中心的役割を担って来られた。
私は一度だけ十数年前、偶然、ダラムサラの空港から町まで車をご一緒し、会話させて頂いたことがあるだけだ。
話の内容はもちろんもう忘れたが、その説得力のある雄弁さが印象に残っている。
カリンポンの自宅からの電話だった。
声はさずがにお年をめされたという感じだった。
元首相でもあるし、もし今度の会議に出席されるとしたら、一番の長老として影響力は大きいであろう。
しかしお年なのでここまで来られるかどうかは確かでないし、もしかして自分はいかない方が良いと判断されるかも知れない。
話の最後には「私はもう老人だ、大した仕事はできない。法王のおっしゃる意味も、もう自分たち年寄りは身を引こう、若い者たちが代わって前に出て働くように、ということでもあろうと思う。」とおっしゃっていました。
「今回の会談についての中国側の発表を聞いて、非常に心配している。中国は益々硬直化し、法王への批難の言葉も強くなっている。お互いの不信感が募っているようだ。」
「1979年からの中国のチベット政策変更により、<独立以外は何でも話合うことができる>ということで、まずは<法王を巡礼ということで中国に招待し、一般市民、政府首脳部とも話し合いの席を設けよう>ということから会談が始められた。
1980年からは数度に渡りチベットへの視察団派遣も許された。
2002年からの会談でも、法王を中国に招待するという話を中心に行われるはずだった。
しかし、会談の中身はチベット全体のことになり、中国側の態度はどんどん悪くなっていった。
私は法王が中国に行かれ首脳陣と話をすることが大事なことだ、他のことは話さないようにとかつて特使たちに良く言っていたものだ。
しかし、今このような状況になり、いまさら法王に北京に行ってほしい、などとはとても言えない。」
「中国は今回、独立はもちろん、半独立も偽装独立の話をするなどもまったくあり得ない、
と強い調子で言っている。相互の言葉使いの問題もあると思うが、心配な状況だ。」
「いずれ我々は中国と話し合いをしないで問題を解決できるはずもない。
いずれ話し合いは続けられるべきだ。
我々の提案はチベットと中国双方に利のあるものだということを説明し、説得し続けるしかない。
そのための人がチベット社会にいないわけじゃない。
経験豊富な年配者もいる、高い教育を受けた若いのもいる。
なんなら特使を変えてもいいだろう。とにかく話合いをつづけることだ。
今何とかしないと、満州族やモンゴル族のようになってしまうであろう。
何とか、チベットの言語、文化、宗教を守る手段を模索し続けるべきだ。」
と語られた。
このあと質問に答えられた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)