チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年10月16日

チベ夏よりの寄付、1988年の話

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9ce33215.JPG今日の朝、ダライラマ法王はデリーの病院を退院されました。
後数日デリーに滞在された後、ダラムサラに戻られるそうです。
医者も「もう普段と同じ活動をされてもよい」とグリーン・サインを出したとか。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=23001&article=Dalai+Lama+leaves+hospital+fully+recovered

ーーー

亡命政府は「女性の社会進出を促す政策」を発表

http://phayul.com/news/article.aspx?id=23000&article=Kashag+Outlines+Policies+on+Women+Empowerment

亡命政府は今後社会のあらゆる分野において、女性の教育、地位向上を促進する政策を打ち出した、とか。
別にこれまで男女差別社会だったわけではないが、より女性に働いてもらいたい法王の平和路線にはこれが良い、と法王のお勧めがあったようです。
これまで、伝わっていなかった、尼僧の戒も整えるとのこと。
もっともこの話はむかーーしからあるけど。

大体すでに、女性はチベット社会では弱くない。
海外に行く場合でも奥さんが先に渡航して生活を整えたのち旦那と子供を呼び寄せるケースが多いとか、
一妻多夫制度とか!?は関係ないか、、、

いや、素晴らしいことです。

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寄付の報告

この夏、東京、東中野ポレポレ座で行った「チベットを知る夏」のイベントの収益金の一部を今日、亡命政府の「DIIR情報外務省」に寄付してきました。

「チベ夏」で上映した英語版の映像はすべてここから譲り受けたものでした。
そのお礼もあってのことです。

ついでに昔の貴重映像のコピーをもらうためでもあったりしました。
これからも手渡した、報道官のサンペル氏にはお世話になるわけですし。

思い出せば、この情報省の庁舎を建てるために23年前、ここに呼ばれ職員にされました。建てた後もこの中に机を与えられ、何だかんだと色んな仕事をやらされました。
数年で安給料で拘束時間は長い、というのでやめましたが。
サンペル氏はその頃からの友人だ。
みんなそのころ下っ端だった若いのが今は政府の中枢で働いている。
だいたい途中でアメリカの大学院に留学させてもらっていたりする。
彼もコロンビア大学の院を終了したはずだ。
それにしてもみんな年取ったよな!(自分も)

考えてみれば一度も政府には寄付したことなかったなと、気がつく。
政府にはお金でなく仕事で奉仕のつもりでしたから。
そういえばルンタプロジェクトのためにもう一つ、
日本の代表事務所にも少ないですが「チベ夏」より10万円寄付しました。

彼についでだから、二つ質問した。

私「10月中に再び特使と中国との対話があるのか?」

サンペル氏「最近行われた、アメリカのハーバード大学での特使ギャリ・リンポチェの講演によれば、10月に対話はある。おそらく10月末に行われると思う」

私「11月17日~22日に行われるダライラマ法王召集の特別全体会議の議題とかは決まったのか?」

サンペル氏「まだそれは決まっていない。詳しくは国会の方に聞いてくれ」

私「私とか、外人レポーターも入れるのか?」

サンペル氏「最初と最後の日には取材、写真OKだ。前日に登録に来てくれ

ということでした。

日本から取材に来たいという奇特な報道関係の方は早めに連絡を。

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<ガンデン僧院僧侶による、1988年3月5日のデモ先導について、ツェリン・ソナムに2008年10月11日に聞いた話。>

そのころガンデン僧院には約300人の僧侶が在籍していたが、そのうち20~30人の僧侶が秘密裏に話合いデモの計画を進めていた。

僧院の中には中国当局の監視事務所があったし、全員の僧侶が信用できるわけではなかった。

これに先立つ前年87年10月にも私を入れた、10人ほどの僧侶がラサにデモのために向かおうとしたが、途中で追い返されたことがあった。

その時にも加わり88年のデモでも中心的役割を担っていた8人がその後逮捕され刑期を言い渡された。
1、ゲン・テンパ・ワンダ  14年
2、プンツォック・ゲンツェン12年
3、ケサン・ツェリン    10年
4、ギャダ          9年
5、ツェドゥ・タンチン    8年
6、ツンダ          6年
7、ツェリン・ソナム     4年
8、ガンデン・タシ      3年

このうち獄中でデモを行った故に刑期を延ばされた者もいる。たとえば日本にも来たことのあるガンデン・タシはその後6年延ばされた。

デモはモンラム(新年の祈祷祭)最後の日のハイライトである「弥勒菩薩請来」の儀式の最中に始められた。
その日、チベット人が一番大勢集まる日だったからだ。

ツクラカン(ジョカン)の正面で、飾り立てられた軽トラックの荷台に、弥勒菩薩の像が乗せられた。
ゆっくりと右回りにジョカンのまわりをコルラ(右遶)し始めた。
すぐ後ろには自治区委員長のタンイー、宗教関係会議議長ユーカ・ドゥリその他の役人が連なっていた。

自分たちガンデンの僧侶たちの仮宿舎はジョカン裏手にあった。
弥勒菩薩が前を通過した後、続いて歩き始めた。

一周する前ジョカンの南側にある広場でいったん車は止まった。
その時ガンデンの僧侶タシ、パッサン、ソナム、ギャダ達がタンイーとユーカの所に詰め寄り
「チベットは独立国だったよな!またそうなるよな!お前ちゃんとみんなにそう言えよ!」
と話掛けたという。
相手は「チベットの独立は明日くれてやろう!」と答えたという。
(明日捕まえてやるぞ)の意味だとか。

僧侶たちは「チベット独立!」「ダライラマ法王に長寿を!」「中国人はチベットから出ていけ!」と口ぐちに叫び始めた。
周りのチベット人たちも一斉に同調して叫び始めた。
ジョカンに据えてあった、隠しカメラに誰かが石を投げ壊した。
屋上に居た警官目がけて石が飛んだ。

そのままジョカンのまわりを廻り始めた。
益々デモに参加するチベット人は増え、二周したころには後ろは叫び続けるチベット人で一杯だった。

そのころから武装警官隊と軍隊がまず、催涙弾を使って制圧を始めた。
しかし、ジョカンに通じる各道路にはチベット人グループが陣取り、押し寄せる軍隊に対し石で応戦し、容易には中に入れさせなかった。
催涙弾と共に威嚇射撃を繰り返していた。

自分たちはいったん仮宿舎に避難したが、宿舎の中にも催涙弾が撃ち込まれた。
全員涙と咳に襲われた。
屋上に上がったが、屋上でもいたるところで警官と市民が衝突していた。
屋上を建物から建物へ飛び移って逃げる者もいた。

夕方の6時頃僧院の管理委員会の用意したバスに乗りガンデンに帰った。

二日後の7日に十数人、9日にまた十数人拘置所に連れて行かれた。
私も9日にウディドゥ拘置所に連れていかれた。

尋問が始まり、拷問の日々が始まった。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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