チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年10月14日

日本人旅行者の最新ラサレポート

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1baaf84d.JPG以下は今日私宛てに送られてきた、10月にラサに滞在された、ある女性のレポートと写真です。

10月1日の建国記念日のレポと写真、チベットのお婆さんとの短い接触のことなど
今のラサを伝える貴重なレポートです。

<転載歓迎>とのことです、どうぞご自由にお友達にお知らせください。

レポートを送って送ってくださったM女史に感謝します。

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【チベットへ入るまで~ガイドの手配】

今年10月、ラサへ旅行に行きました。私にとっては、およそ5年ぶりの訪問です。

表層しか見ることができませんでしたが、旅行者の目線で気付いたことを報告さ
せていただきたいと思います。

現在、チベットへ入る外国人は「入域許可証」と「全行程ガイドの同行」が必要
ということで、日本の旅行会社を通して事前に手配しました。(日本の旅行会社
を通さない方法もありますが、その場合は現地旅行社と直接やりとりして手続き
をすすめることになります。)

ガイドがどの程度まで付き添わなければならないのか、よくわからないまま現地
に入りましたが、割と融通は利きました。終日ずっと同行しなければならない、
というわけではないようです。

ただし、ラサ以外の街へ行くときは必ず同行しますし、旅行手配時に申請してあ
る場所の訪問しか許されませんでした。

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【ラサの様子】

ラサ到着日、まず驚いたのは、空港も道路も新しくなっていたことでした。そし
て、出迎えの車には監視カメラ。空港からラサ市街までの道からは、かつては麦
畑をたくさん見かけましたが、今は商店のような中国風の建物が多くなりました
。新しく建てられたチベット風の家屋も増えていましたが、壁には石でなくコン
クリートブロックを使っており、すべて同じ規格で建てられたかのように、どれ
もそっくりな外観でした。

ラサの市街地に近づくにつれ、漢族エリアがぐんぐん押し広げられているのがわ
かりました。建築中のデパート・集合住宅・ビルを多く見ました。5年前の記憶と
比べると、どこも「近代化」されているようでした。

ジョカンやラモチェ周辺の旧市街では、以前は見ることのなかった中国旗の多さ
に驚きました。屋上から四方を見渡すと、何十もの赤い旗が見えます。建国記念
日(10月1日)の前後には、その数がさらに増えました。屋上だけでなく、通りに
面した窓にも掲げられています。「そうしなければ、警察が家にやってくる」そ
うです。

また、街中のインターネットカフェは、すべて姿を消していました。

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【観光】

主要な訪問箇所の入場料は、下記のようでした。(1元=15.5円 / 2008年10月
時点)

● ポタラ宮殿・・・100元(約1550円)

※荷物のX線検査あり・水の持ち込み禁止・事前予約が必要・1日5000人までの人
数制限あり 

※屋上へはあがれなくなりました。

※3月の騒乱がなかったら、200元に値上げする予定だったそうです。

● ジョカン・・・70元

※チケットにミニCDRがついています。(中身はまだチェックしていません。)

● ノルブリンカ・・・60元

※園内の動物園は別途10元(2004年に有料化されてから、チベット人はほとんど
行かなくなったそうです。)

● デプン寺・・・50元

● セラ寺・・・40元

※ガイドによる入域許可証の提示が必要

※問答は行われておらず、入ることができる箇所も制限されています。

● アニ・ツァングン・・・30元

● ヤムドク湖・・・40元

※観光シーズンのみ徴収するようになった模様。

● ガンデン寺・・・訪問不可

● サムイエ寺・・・訪問不可

寺院では、僧侶をほとんど見かけなかったことにショックを受けました。セラ寺
もデプン寺も、閑散としています。とても静かです。

デプン寺で目にした僧侶の数は、15名前後。ガイドの説明では、3/14以前は2800
名がいたそうですが・・・。本堂に並べられた袈裟と帽子のセットを数えたら、
およそ150名分が並んでいました。その150という数でさえ、本当に居るとは思え
ないほど、広い境内は静まりかえっていました。

セラ寺にいたっては、巡礼者の姿さえも、わずかしか見ませんでした。

一方で、漢族の観光客は急増していました。

数え切れないほどの漢族観光客が押し寄せ、バルコル周辺のツーリスト向けレス
トランは占拠され、あらゆる観光スポットにあふれていました。観光客の割合は
、「漢族:漢族以外=95:5」くらいに感じられました。ちょうど国慶節(中
国のGW期間)と重なったことも要因かもしれませんが、とにかく、その多さには
圧倒されました。

日本人観光客は、3月以降、ほとんど戻ってきていないそうです。昨年、鉄道に
乗った外国人観光客は日本人が最多だったと聞きましたが、まるで手のひらを返
したようです。

欧米の観光客はよく見かけましたが、以前よりは少ないと思います。

そんな中、観光化は急速に進んでいるのが感じられました。あらゆる場所の入場
料は、私が覚えているかつての金額から値上げされていました。観光客向けの土
産物店が増えました。ヤムドク湖を見下ろすカムパラ峠や、観光客がフォトスト
ップで立ち寄る峠では、写真を撮らせて小銭をかせぐ人々が増えました。

鉄道は、ラサ~シガツェ間にも建設される予定で、成都~ラサを結ぶ新たな鉄道
建設の計画もあるとか。カイラス空港は、2010年に完成するのではないか、とい
う話でした。

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治安部隊ラサ2008.10月

【治安部隊、監視カメラ、スパイ】

昼夜問わず、迷彩服を着た治安部隊が街中を歩き回っています。(正確には「武
装警官」という名前がついているようですが、「警官」という言葉を使うと語弊
があるため、「軍人・軍隊」と書くことにします。)多くの場合、彼らは5人組を
組んでいました。2人が銃を持ち、別の2人は大きな盾を抱え、その裏側に電気棒
(または警棒)を隠しています。バルコルのように人通りの多い場所では、銃は
袋の中に閉まって背中にかけていることもありましたが、むき出しで手に持って
歩いているケースのほうが多かったです。朝夕にバルコルを歩けば、5~10分に1
回程度、それらの軍隊とすれ違いました。観光客が来ない裏路地やラモチェ周辺
では、その頻度はもっと上がります。

バルコルやジョカン前広場では、合計5箇所ほど、歩哨が屋上に立っている場所が
ありました。そこでも、銃を手にした軍人が、道行く人々を見下ろしています。
そのほか、トムセーカン市場の階段踊り場や、ラモチェ正面の建物2階バルコニー
などでも、常に複数名の軍人が銃を持って立ち、警戒していました。

旧市街には検問所も数多くあり、道路の交差点や、寺の入り口に設けられていま
す。常に4~8名ほどの軍人が常駐し、銃と盾を手に立っています。彼らがチベッ
ト人を検問している様子は、滞在中は一度も見かけませんでした。

監視カメラは、ジョカン前広場で8個、バルコルの通りに面している範囲内で12個
、確認しました。旧市街のあらゆる路地や寺院内にも設置されているので、その
数は何百・・・もしかしたら千を越えるのではないかと思いました。

一度、夜遅くにバルコルを歩いていた際には、装甲車2台とすれ違ったこともあり
ました。別の夜には北京東路で、軍人を大勢乗せたトラックが走り去るのを見ま
した。

街中にもお寺にも、スパイがいます。人々と話をしていると、どこからともなく
やってきて、耳を澄ませる・・・、そんな場面を何度も経験しました。

子供達が遊ぶ路地裏も、巡礼者で賑わうバルコルも、あらゆる場所がこうして監
視されていました。どんな細い路地でも、銃を持った軍人が徘徊しています。お
よそ平穏とはかけ離れた監視社会・・・。それでも、チベット人たちは彼らの姿
が眼に入らないかのように、祈り、日々の生活を続けていました。

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建国記念日2008年10月1日ラサ

【建国59周年記念日、10月1日】

この日、午前10時からポタラ宮前の広場にて、式典が行われました。広場を取り
囲むようにして、10m置きにならんだ軍人が警備にあたり、一般人は入ることが
できませんでした。整然と隊列を組んだ軍人のパレードが行進し、広場に到着す
ると中国旗を掲揚しました。広場には共産党関係者と思われる招待客らが大勢い
ましたが、距離が遠かったため何名くらいだったのかはわかりません。軍隊とあ
わせて、数千名規模だったと思います。広場は深緑の軍服に染まり、赤い旗が各
所に掲げられ、党歌のようなものが大音量でかけられていました。

その様子を尻目に、チベット人たちはポタラ宮の周りを祈りながら歩いていまし
た。まるで式典が行われていることは全く気づかないかのように、前を向き、黙
々と・・・。

そして、ポタラ宮の正面では、五体投地する人、祈りをささげる人が絶えずいま
した。彼らの顔ひとつひとつには、背後で繰り広げられていることへの無言の抵
抗が浮かんでいるように感じられて、胸が痛みました。

このとき、ポタラ宮を背景にして、写真撮影をする漢族観光客らしき女性がいま
した。サングラスをかけ、両手を高く掲げ、満面の笑みでポーズをとっていまし
た。不自然なほどに長い間、同じようなポーズで延々と写真を撮り続けているの
です。しばらくした後、その理由がわかりました。テレビ局のインタビューを受
けていたのです。おそらく、事前に手配されたサクラなのでしょう。嬉々として
インタビューに答えていました。

このほかにも、スパイらしき人々が大勢、周辺にいました。角刈りの中年男性が
たむろして、何をするともなく辺りを観察しているのです。

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2008年10月ラサ

【おばあさんの涙】

ある朝、バルコルを歩いていたとき、ヤクバターを売るお兄さんの側を通りかか
りました。周囲には小さな人だかりができており、みんな真剣な顔で味見をして
います。その様子が面白かったので、石段に腰掛けて見ていました。

私の横には、おばあさんがひとり座っていました。何気なく挨拶し、笑顔を交わ
し、私が知っている数少ないチベット語のフレーズで話しました。「こんにちは
」「私は日本から来ました」「チベットが好きです」―。しばらくすると、おば
あさんは、手にしていたマニ車を使って、銃を打つ真似をしました。「漢族が、
こうしてチベット人を殺すんだ」ジェスチャーを使って、そう訴えていました。

切実なメッセージを目の前にして、そのとき私にできのは、「プゥラ・シデ・モ
ンラム・ギャギュー(チベットに平和が訪れるように祈っています)」と言うこ
とだけでした。この言葉を口にした途端、おばあさんの目が潤み、涙があふれま
した。そして、胸にしまっていたペンダントを出して見せてくれました。そこに
は、小さなダライ・ラマ法王の写真が入っていました。私も涙が出そうでしたが
、「早くこの場を立ち去らなければ」、と思いました。人通りの多いバルコルで
す。もしスパイにこの様子を見られていたら、おばあさんが後でどうなってしま
うかわからない・・・。手を合わせて別れの挨拶をし、すぐに立ち去りました。

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【チベットへ行きませんか?】

こうして暗い話題ばかり書いてしまいましたが、旅は楽しかったです。不謹慎と
思われるかもしれませんが、とても楽しかったのです。チベット人の底抜けに明
るい笑顔や、穏やかな微笑みに触れると「あぁ、だから私はチベットが大好きな
んだなぁ」と、いつも思うのです。

チベットディスコでは、大きな身体を揺すってチークダンスを踊るおばちゃんや
、舞台上の歌手よりも目立つほどダンスに熱中する観客たちがいました。

ある寺院でカメラをかまえると、お茶目なポーズを撮って周囲を笑わせるおじさ
んに出会いました。

麦の脱穀をしているところを通りかかると、歌ったり踊ったりしながら作業する
家族がいました。

子供達は、好奇心いっぱいの目で語りかけてきました。

数え切れないほどたくさんの笑顔に出会いました。

こんなにも心穏やかで、思いやりに溢れた人々なのに、なぜ ―― 。幾度も、
そう思わずにはいられませんでした。チベットが好きになればなるほど、旅を楽
しめば楽しむほど、胸のうちでかみ締める悔しさと悲しさは大きくなります。

複雑な気持ちにさいなまれながらも、今、この時期のラサを訪れて良かったと思
います。たくましく生き、笑う人々がいます。彼らの祈る姿には、心動かされま
す。旅行者に、現状を伝えたい人もいます。

一見、平穏を装っている今の生活でさえ、この先失われていくものなのかもしれ
ません。5年ぶりに訪れてその変貌ぶりに驚いたように、チベットの変化はあまり
に早く進んでいます。

中国政府は、国を挙げて観光化を推し進めています。外国人観光客が行けば行く
ほど、政府が儲かることになります。しかし同時に、外国人観光客は監視の目に
なることもできるのです。国際社会が見ていることを示すひとつの手段になり得
ると思うのです。

チベットに興味がある方には、今の姿を見てほしいと願います。そして、見てき
たことを何かしらの形で報告してほしいと思います。大勢の人が注視し続ければ
、何かを変えることができるかもしれない・・・、そんな淡い期待をこめて。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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