チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年9月21日
ツェソの話
彼の名はツェソだが、これは短略称で本当はツェリン・ソナムという。
40歳。
9-10-3の会の創始メンバーの一人で、10年前から知ってる。
身体は大きめだが、気性は至って大人しく(見える)、声も小さい(しかし早い)。
元はもちろん僧侶だが、ルンタレストランの最初の従業員の一人で一番可愛い子と思われてた女性と数年前に結婚し、今は男の子が一人いる。
今は某組織に雇われ中国の情報収集係りだ。
彼は凡そ20年前、1988年3月5日に起こった大きなラサデモを先導したガンデン僧院僧侶21人の内の一人だった。
デモの話は飛ばして、、、
ダプチ監獄にて5年の刑に服し、1992年釈放された。
そのころラサにはクショ・ダワ(クショ=僧)と皆に呼ばれる一人の僧がいた。
彼もかつて政治犯として服役したことがあった。
彼は人望厚く、皆にやさしく、皆に信頼され、尊敬されていた。
秘密裏に特に政治犯を助けることに尽力した。
身寄りがなかったり、貧しかったりで外からの援助を受けることのできない政治犯には組織を使って差し入れを届けさせたりした。
お金を工面することも多かったが、親しい信頼できる金持ちの友人に恵まれていた彼はいつも誰からかお金を回して貰えた。
出獄した政治犯はたいてい彼の元を訪れた。
彼の支持を仰ぐために。
ツェソは親友の同じくガンデン僧侶クショ・ツェリンと共に彼の下で働くことになった。
仕事は大抵、街に張り出す反中抗議文を印刷することだった。
張り紙の二か所に黒と赤で印璽が押されたが、これには会の名前が書かれていた。
本当のところは会(地下組織)のような大そうなものは無かったのだが、中国を少しでも怖がらせ、仲間を鼓舞するために嘘の印を押したのだ。
印刷といっても仲間によって彫られた木版の上にインクを伸ばし一枚一枚手刷りするのだ。
クショ・ダワの家で作業することが多かった。
印刷された、ビラは夜中に仲間の手を通してラサの至る所、時には数日掛けて遠いカム、アムドにまで届けられ張り出された。
危ないこともあった。
いつものように部屋の至る所には印刷したてのビラが乾燥させるために広げられていた。
突然ドアが強く叩かれた。
ドキっとして部屋の電気を消しそっとドアに近づいた。
そとからは「クショ・ダワの仲間だな?今公安が一軒ずつ家宅捜査に廻ってる。危ないからすぐ逃げろ」と言う声。
声からそれは公安に務める仲間と判った。
彼はすぐに消えた。
自分たちは部屋を大急ぎで片付け、部屋を出て外へ走った。
一年ほどそんな仕事をしていたが、そのころ仲間が一人、二人と逮捕され始めた。
中には15年の刑を受けた者もいた。
自分たちが逮捕されるのも時間の問題と思われてきた。
クショ・ツェリンと供にインドに逃げる決心をした。
雪山を越え93年ダラムサラにたどり着いた。
弟が一人いたが彼も僧侶になり、デモに参加した。
そして獄中で拷問死した。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)