チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年9月18日
3月ラサデモの後逮捕拷問死
以下はTSNJ(チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン)のメーリングリストに掲載された手紙です。
悲しい話です。
拝啓
はじめまして、日本の皆様。私の名前はカルサンと言います。私はチベット出身です。日本の皆様にあっては、チベットを支援していただいて本当にありがとうございます。今日は、どうか私の兄さんの身に起きたことを聞いてください。
私の兄さんの名前は、兄さん。とても優しい兄さんでした。兄さんは2008年5月末、中国の警察による拷問が原因で死んでしまいました。享年45歳でした。兄さんはごく普通の遊牧民で、5人の子供の父親でした。
2008年3月17日、中国政府に対するチベット人たちによるデモは、チベット全土に広がっていました。私の兄もそのデモに参加しましたが、決して暴力行為は働きませんでした。後日、数人の証人が、兄さんはむしろ暴力行為に訴えようとしていた若者達を説得して止めさせたことを証言してくれています。
デモの後、中国政府は、デモ参加者に速やかに自首するように繰り返し伝えました。兄さんは、自分が暴力行為は行っていないことから、自首をしようとしましたが、自分の名前が指名手配のリストに載っていることを知り、逮捕と拷問を恐れて身を隠していました。警察は兄さんの居所を知るために、兵隊一杯のトラックと11人の警察官で兄さん宅に押しかけて、14歳になる兄さんの息子の頭に銃を突きつけ、父親の居所を聞きだそうとしたのです。さらにを警察署に連行して、殴る蹴るの暴行をして父の居場所を吐き出させようとしました。彼は父親の居所を本当に知らなかったのです。結局彼が警察に開放された直後、兄さんは家に戻りました。兄さんの家族や親戚が集まり、兄さんに自首をすすめました。理由は、中国政府が「自首した者の刑は軽くする。」と広報していたということ。また、兄さんは5人の子供の父親であり、このまま一生逃げ通せるものでも無いということでした。兄さんの息子も警察から帰ってきたばかりということもあり、4月17日、結局兄さんは自ら地元の地方警察署に赴きました。4月27日、兄さんは地方警察署から拘置所へ移送されたそうです。
5月26日早朝、兄さんが死亡したという訃報が家族に知らされました。警察側は、兄さんの死体を家族に見せる前に、まず家族に対して「死因は病気であって、拷問ではない」と主張したそうです。そして、これから見ることを決して公言してはならないし、死体の写真を撮らないということを誓わされたということです。しかし、病院のベッドに横たわっている兄さんの死体を見た家族や親戚は言葉を失いました。鼻の下辺りから胸の辺りまでの皮膚は火傷による水ぶくれで覆われており、背部は、首の下から腰の辺りまで痣だらけで、肌色の部分がほとんど無い状態だったそうです。
5月30日、警察の監視の下、兄さんのお葬式が行われました。葬列者数も警察により制限されていたため、たった7人の列席者だったそうです。チベット式の弔い方法・鳥葬により執り行われました。その過程で、参列者達は、兄さんの内臓を目にし、そして兄さんの死因が拷問であったということを100%確信したそうです。右側の腎臓は、つぶれてしまっていたそうです。胆嚢も完全に潰れてしまっており、胆汁が中から飛び出してしまっていたといいます。肝臓の下部も外的ショックによりダメージをうけていました。そして腸は空っぽで空気しか入っていなかったということです。明らかに、私の兄さんは中国の警察と拷問によって殺されたのです。平和的デモに参加したことが、拷問で殺されるほどの重罪なのでしょうか。
私の兄さんは5人の子供を後に残して亡くなりました。ちなみに長女は盲目です。私の家族達は、命懸けで兄さんの身に起きた真実を私に知らせてくれました。日本の皆様、私の兄さんの死は、チベットで起きていることのほんの一例にしか過ぎません。チベットでは、今もたくさんの人が拷問され、命を危険にさらされています。そして今チベットで起きていることが、世界に黙殺されようとしています。どうか、中国政府による報道を鵜呑みにしないでください。最後まで読んで頂いてありがとうございました。
敬具
Kelsang
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)