チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年9月10日
過激派、シャーマン
今日も何人ものチベット人にインタビューした。
通訳だしノートを取っていなかったので良くは覚えていない。
そんな中、いくつか印象的に覚えている事を書く。
まず朝方例のハッサン・ツェリンに会った。
彼はチベット青年会議の議長を二期務めたこともある代表的「完全独立派」の一人だ。
ムスタンゲリラの話しを聞いてるとき、先日亡くなられたタクツェル・リンポチェにまつわる話が出た。
「タクツェル・リンポチェは中国が侵略を始めた後、最初にアメリカに渡りCIAと交渉してゲリラに対する支援を得ることに成功した人物だった。チベットのゲリラ6人が初めてサイパン島に送られ軍事訓練を受けたときの通訳もやっている。
その後弟のギャロ・ドゥンドゥップ氏がCIAとの交渉役になったのだ。
二人とも最後まで独立だけを求めていたのだ。そのためには武力に頼ることも厭わなかった」
ついでに法王の「平和主義は非現実的だ」という例えに、
「もしもチュシ・ガントゥックと言う武装組織が無く、ラサの東南を彼らが押さえていなかったとしたら法王が今こうして居られることも無かったかも知れないとは思わないか?」
「ダライラマ法王の今の住居だって、周りは銃を持ったインドの兵士によって守られてるじゃないか!?」
等々の例を上げた。
「じゃ、ハッサンにはそれに代わる戦略があるのか?」
と聞くと、それから名付けて「やぶ蚊大作戦」という壮大?な彼独自の計画について話してくれた。
(内容は忘れたことにする)
彼の意見や計画はともかく、彼がこの町一の熱い人であることは認める。
今もチベット青年会議やSFTに対し強い影響力を持っていることも確かだ。
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もう一人印象的な人に会った。
か細い声で話す華奢で静かな気配の女性だった。
彼女はシャーマンでI氏が長いインタビューをすることになった。
レストランのツェリンの紹介で最近のラサの様子を良く知ってそうな人と言うことで会ったカップルだった。
その内の女性の方がつい最近までシャーマンだったというのだ。
当局の圧力により最近止めたのだという。
いずれもう結婚してしまったので再び「神降ろし」をすることはない、とも言った。
女性の巫女は処女が条件とのこと。
彼女は今30才。14歳から29歳まで巫女の仕事を続けた。
周りのチベット人によると彼女はラサ近郊では並ぶ者のいない有名な「神降ろし」だったという。
基本的に共産党はこの「神降ろし」は宗教の一部とみなしており弾圧の対象となっていた。だからいつも(表向きは)秘密裏に行われる。実際には中国人の政府高官も患者?として来ることがあったという。
最後のころには部屋に大勢の客が一度に押し寄せるようになった。
そうなると公安がしばしば彼女のところに来て「こんなことをしてると逮捕されるのも近いだろう」と言われたりした。
「自分は憑依状態になったあとのことは何も覚えていない。でも相手が<チベットの将来は?>と聞くとき<近く自由を得るであろう>と答えることもあると助手から聞いた。こんなことも公安に睨まれる元になったかもしれない」
大方病気を治す治療を施すことが多いという。
胆石を吸いだしたり、癌を吸いだしたりもする。
信用のために患者には吸いだした石を病院に持って行き検査してもらうこともあるらしい。
その他様々な要求があるらしい。
降ろす神も用途に従いいろいろある。
ある中級の神が降りたときには多量のチャン(チベッタン濁酒)を飲む。
でも神が去って行ったあとは、匂いなのど形跡がすっかり消える。
全くの素面に突然なる。
時には牛の神が降りるがその時にはまるで振舞が牛そっくりになり、干し草を多量に食べたりする。
、、、、、
その他オモシロ過ぎる話がいくらもあったが、、、続きは何時か?にします。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)