チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年9月6日
ダライラマ法王長兄タクツェル・リンポチェがお亡くなりになられた
現地(アメリカ、ルイジアナ)9月5日早朝、ダライラマ法王の長兄であられるタクツェル・リンポチェがルイジアナの自宅にてお亡くなりになられた。
数年前に脳梗塞を患われてより体調を崩されていた。
以下はphayul.comの二つの記事を合せ要約したものです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=22758&article=Taktser+Rinpoche%2c+eldest+brother+of+the+Dalai+Lama%2c+passes+away
http://phayul.com/news/article.aspx?id=22760&article=Taktser+Rinpoche+-+An+Obituary
タクツェル・リンポチェは本名ツプテン・ジグメ・ノルブ、1922年アムドの寒村タクツェ村で生まれた。
3歳でダライラマ13世により、アムドの名刹クンブン僧院僧長の生まれ変わりとして選出された。
貴弟がダライラマ14世となる前からチベットの宗教界では高い地位にあったといえる。
1949~50年に掛けて中国がチベットに侵略を開始したときには、いち早く中国、インド、アメリカに飛び交渉役の先頭にたった。
中国への不信を14世に語り、亡命をいち早く示唆したのもリンポチェであった。
リンポチェはもちろん法王に熱心に従う信者の一人ではあったが、政治的スタンスにおいては、法王の中道路線とは一線を画した「チベットの完全独立」を主張し続けた。
1950年にはいち早くアメリカに住み着いた。アメリカに移住した初めてのチベット人でもある。
リンポチェは生来非常に活発な人であり、生涯を法王に尽くすこと、チベットとチベット人のために働き続けられた。
アメリカと日本の代表を務められたこともある。
インディアナ大学の教授としてアカデミックな仕事もたくさんされた。
自伝を含めチベット関連の著書も多い。
妻クンサン・ノルブと三人の息子さんを残し他界された。
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タクツェル・リンポチェには二、三回お会いしたことがある。
非常に紳士でやさしく、知的な印象の残るリンポチェだった。
P氏が不正事件で代表を下された後、日本事務所の代表に就任された。
最初は様々な妨害にあわれ御苦労の多い日本滞在であった。
それでもいつも笑顔を絶やさないやさしいリンポチェであられた。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)