チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年9月1日
ショトゥン祭、チベットのグァンタナモ収容所
8月30日世界中のチベット人およびそのサポーターが世界平和を祈って12時間断食を行った日、ラサのデブン僧院では今年の開催が注目されていた「ショトゥン祭」が開かれた。
この日の「ショトゥン祭」について、先ほどラサで当局に一時拘束されたウーセル女史が自身のブログに書かれている。
この中国語を長田さんが日本語にされていたので彼のブログより転載させて頂きます。
元は以下
http://woeser.middle-way.net/2008/08/blog-post_30.html
長田さんのブログは
http://tibet.cocolog-nifty.com/blog_tibet/
<ラサは本日“ショトゥン祭”>
ラサでは今日“ショトゥン祭”を熱烈に祝ったそうだ。
観光中の友人は、デプン寺に大タンカの開帳を拝みに行った。
午前10時に開帳が始まり、12時に終わったという。
人はたくさんいた? そう尋ねてみた。
チベット人がけっこう大勢いたよ。
タンカを開帳してたのはどんな人たちだった?
とりあえず赤い服を着ていたよ。
もちろん、彼らは、すばらしい役者たちだ。
ラサで“ショトゥン祭”を見事に演じた。
デプン寺、セラ寺、ガンデン寺の僧侶たちは、すでに千人以上が捕まっている。
残された数少ない僧侶たちは“タンカ開帳”に参加しないわけにはいかない。
寺院管理委員会の命令に逆らえる者がいるだろうか?
従わなければ?
従わなければ、武装警察と公安にすぐに取り押さえられ、
ゴルムドの“グァンタナモ”に送られるだろう。
ラモチェ、トムシカン、カルマクンサンといったチベット人が暮らす地域では、
どれほど多くのチベット人が捕まって連れ去られただろう?
チベット人たちは恐怖にふるえながらも“ショトゥン祭”を祝わないわけにはいかない。
居民委員会の命令に逆らえる者がいるだろうか?
祝わなければ?
祝わなければ、年間200元の食糧費の補助金がすぐ取り消されるだろう。
3・14以降、外国のメディアが来訪したときだけは、
退職公務員や現職公務員が寺院に動員され、
参拝する信者を装って、仏像のまわりをぐるぐる回らされた。
行かなければ?
行かなければ、年金は取り消され、職を解かれるだろう。
外国人記者が去るのを待って、寺院は立ち入り禁止となった。
もう一度行ったら?
やはり年金は取り消され、職を解かれるだろう。
はは…
今日、押し合いへしあいデプン寺やセラ寺にタンカを拝みに行った人々も、
ノルブリンカに賑々しく“ラモ”見物に行った人々も、
偽物だよね。
まことしやかな偽物ばかりだと、本物も偽物に見えてしまう。
何もかもが偽物で、心さえ偽物。
ただ涙だけが本物。心の中を流れる涙。
はは…
なんて素早いことか、新華社のニュースがもう流れている。
ラサ人民は“ショトゥン祭をお祝いした”そうだ。
中国西蔵伸息中心の写真も出ている。
去年のタンカ開帳では上演禁止になったチベットオペラが、
今年は不思議なことに上演されている。
あろうことか“伝統儀式”とはまた、あつかましい。
忘れたわけではないだろうな。
では、なぜ去年“伝統”を継承しなかったのかな?
こう言う人がいる。今の中国って…
“小康(そこそこの暮らし)だ小康だっていうのも偽物、
宗教だ宗教だっていうのも偽物、改革だ改革だっていうのも偽物、
開放だ開放だっていうのも偽物、発展だ発展だっていうのも偽物だ”。
私ならこう言おう。今のラサって…
ショトゥン祭だショトゥン祭だっていうのも偽物!
調和だ調和だっていうのも偽物!
2008年8月30日
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文中“グァンタナモ”と呼ばれているアムドゴルムトの収容所について、ラサ発の情報として28日付RFA(ラジオ自由アジア)に関連記事が載っていた。
http://www.rfa.org/english/news/monks-08282008164711.html
<ラサ発の列車>
4月25日ラサ発の列車に675人の僧侶が乗せられた。
675人の内訳は:デブン僧院より405人、セラ僧院より205人、ガンデン僧院より8人、残り57人はラサ市内及び近郊の小規模僧院からだ。
彼らは全員青海省ゴルムトの軍拘置所に送られた。
その後、アムド出身の僧侶たちはそれぞれの出身地区の拘置所に送られ、その他カム出身の僧侶はそのままゴルムトの収容所に拘束されているという。
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写真はデブン僧院での法要風景という。
8月中の撮影というからこの人たちが辛うじて今デブンに残っている僧侶であろう。
別の情報としては前後するが、デブンからは4月10日に550人が逮捕されネタン軍学校の校庭が拘置所代りに使われていた。
4月14日の夜にはセラ僧院に軍隊が押し寄せ400人の僧侶を逮捕。
ラサ近郊(東20km)にあるツァル・グンタン軍監獄に収容されていた。
収容所では暴行を含む劣悪な扱いを受けていたという。
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その他アムドには昔から巨大な一万人規模の強制労働所が数か所あることはよく知られている。
ウーセル女史のいう“グァンタナモ”はこれら全てを含んで言っているものと思われる。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)