チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年8月14日
オリンピックとチベット
写真はパリでの記者会見に臨む法王とフランス語通訳
http://phayul.com/news/article.aspx?id=22468&article=I+am+a+free+spokesperson+of+the+Tibetan+people+%e2%80%93+the+Dalai+Lama
いろいろとフランスのことを書こうと思っていますが明日かな?
以下はいつもの委員会リリースです。
<委員会>と呼んでいるのは今年3月から発足したチベット亡命政府と議会、民間団体(すべてではない)が集まった緊急委員会のことです。
(内実を詳しく話すと長くなる)
一般には<チベット亡命政府>と思ってもいいです。
連帯委員会リリース 2008年8月13日 Y女史訳
http://www.stoptibetcrisis.net/pr130808.html
<北京オリンピックを通して見えるチベット>
「もし部分を見通すことができれば、全体を把握できる」というチベットの諺にあるように、現在北京で開催されているオリンピックというプリズムを透かせば、チベットの状況をある程度は把握することができそうだ。
北京でオリンピックが始まるほんの2、3週間前、中国当局はチベット人達を北京やその近隣都市から、生まれ故郷やその他の遠隔地へと強制的に追放した。
次いで、それらの都市にあるホテルや宿泊施設は「チベット人がやってきたら最寄の
警察当局に報告するように」と要請された。
チベット自治区からやってきたチベット人の演技団は、北京オリンピック開会式で演技するために、数ヶ月もの間練習を重ねてきた。
北京当局は事前にさらに厳しいリハーサルを行うよう要請してきたため、昼夜を問わずにリハーサルを続けて本番に備えていた。
にもかかわらず、開会式本番では、99%の演目は多数派である漢民族によるパフォーマンスによって独占され、チベット人を含むその他55の民族による演目は、ほんの数秒間披露されただけだった。
これはまさに、中国政府による常態――漢民族中心主義そのものを示していたといえる。
(チベット人団員はさぞ悲しい思いを抱いたであろう、、、)
チベット人は一般に、勇敢さ、力強さ、機敏さによって知られている。
だが、こうした生来の性質にも関わらず、チベット人がこれまでオリンピックにおいて中国代表選手として活躍したことはない。
チベット人が卓越した技術を持っている馬術やアーチェリーといった種目はおろか、他のスポーツにおいてもである。
現在、国家レベルのスポーツ選手として養成されているチベット人は、一人もいない。
北京オリンピック期間中、国内向けに流されている特別番組では、中国政府が共産党の指導によって「暗黒で野蛮な古めかしいチベット社会」を「輝かしく幸せな」社会に発展させたものとして描かれている。
中国は報道関係者に対して、オリンピック期間中、厳格な軍事弾圧や制限下に置かれているチベットを除き、全ての場所を自由に訪れてよい、と許可している。
チベット人が逮捕されたり家が急襲されたり、理由もなく撃たれる、といった報告は、今も続いている。
ラサ付近のデプン僧院とネチュン僧院は未だに厳しい統制下に置かれており、僧侶らの移動は厳しく制限されている。
さらに、チベット人職員はオリンピック期間中に休暇をとってはならないと命じら
れている。
北京でチベット人を支援して抗議行動に出たチベット・サポーター達はただちに
逮捕・追放されている。
こうした事件を記録しようとしたレポーター達も乱暴に扱われて拘束され、その報道を阻まれている。
要約すると、オリンピック期間中の北京の態度は完全に人種間の公平性に欠けており、チベット人への抑圧は相変わらず続いている。
こうした状態は、「北京は中国の56種の民族全体のもの」という毛沢東の公式見解とはまったく矛盾するものである。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)