チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年8月4日

チベットものは世界の最先端

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6304555d.jpg昨日のポレポレ座のトークと時、
「この悲観的になりそうな状況の中、どのような仕方でチベットを支援すれば良いのでしょうか?」
という質問かあった。
もちろん今まで出なかったことか不思議なくらいな当然の質問でした。
それに対し私は欧米のチベットに関する情報の質、量ともの違いから、民主国家での行動のそれ政界のそれの違いについて簡単に話し、日本の特殊事情のようなことを話したが、そう言えば、答えになってないまま、話を終わってしまったように今、思いだしました。

基本的には個々人それぞれの現在の、たとえば、時間的、金銭的、空間的、社会的地位等の違いから始まって置かれている状況が違う訳ですから、方法も違う訳です。
例えば日本人の中には夫々の分野での特殊技能を持った人が多い訳ですから
それの延長でチベットに係るとか、趣味の延長とか、、、

例えばオフィスの自分の机の上のガラスの下にチベット国旗の小さなのを敷く、
お店屋さんをやっておられる方は目立つところにチベットの国旗とかのフリーチベットグッツを張る、
芸術系のサポーターの人は自分の個展を開くときには必ずチベットを同時に宣伝する、
小さなチベットを至ところに張る(迷惑行為にならないように注意は必要)。
「これなーーに?」と来たら其の人に合せて正しいチベットの情報を与える。

欧米ではチベットは最先端のファッション?と化している。
と日本人に思い込ませるとか、、、
実際その傾向はあるからね。
もっと勇気のある方は同時に中国国旗も並べて、中国人も歓迎して、チベットの話をするとかは法王の推奨するやり方です。

何をやるにしても、動機が正しいならば、チベットに関わって失うものより得るものが数倍多いであろうことは私が保証します。

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今はこんな日本の状況だけど、うらやましいヨーロッパの話をAFP伝より以下に、

欧州議会議長のハンス・ゲルト・ポタリン氏はオリンピック参加選手に対し<チベット>のことを忘れることなく、中国に行ったら人権抑圧に反対することを意思表示するよう呼びかけた。

彼はある雑誌のなかで「私は選手たち、男子も女子もありのままの真実を見、それから目をそむけないようにと勇気付けたい」

「それぞれの選手が、それぞれの仕方でそのサインを出すことは可能だ。中国当局はそれを阻止できない」と続け、
スポーツとオリンピックへの愛好を人権への「目隠しに利用する」事は許されないことを強調した。

「その文化的生存のために戦っているチベットの人達のことを忘れないことは我々の義務である」

とも語ったという。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=22225&article=Athletes+urged+to+act+on+Tibet

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日本にもこんな議員がいたのかと驚いたphayulの記事

8月3日デリーの<チベット人死のハンスト>会場に日本の民主党議員松原仁氏が現れた。

まず、水も絶ったハンスト一週間目の死期も間近な参加者の一人ソナム・ダクパが松原議員に対し「我々は600万チベット人同朋のために死ぬ用意ができている。しかしこのことが不毛の結果に終わることを危惧する。あなた(松原氏)がチベット問題を国(日本)の国会に持ち出し、他のリーダーたちの支援を引き出してほしい」
と訴えた。

これに対し松原議員は「オリンピックはただのゲームではない。それは世界中の国の人々が平和と調和のもとに集う時と場所なのだ。故にホスト国は平和と調和と民主主義と人権とを高揚する時、初めてオリンピックのホスト国としての資格を持つと言えるのだ」

と答えたという。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=22217&article=Conditions+deteriorate+as+TYC+hunger+strikers+complete+a+week

松原さん期待してますよ!

それにしてもちょっと気になるのは記者会見の様子を映す写真の中、通訳をしているのはP氏に見える。
ううう、、、
私は長年日本にいないので、まるで日本の政治家について無知なのですが、
松原さんって右の人なのですか?
誰か教えてください。

ーーーー

ところでハンストはどうなるのか?
このところしきりとインド警察がドクターを連れて視察、診察に来るとのことです。

また、強制解散させられるかもしれません。
その時はこの前の時のようなことが起こらないことを祈ります。
危険なときです。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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