チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年7月29日

続死のハンガースト1/ ラサの現状

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TYC launches indefinite hunger strike without food and water in New Delhi
<チベット青年会議(TYC)、水も摂らない「無期限ハンガーストライキ」をニューデリーで開始>
Y女史訳

http://www.phayul.com/news/article.aspx?id=22029&article=TYC+to+launch+second+%E2%80%9CTibetan+People%E2%80%99s+Mass+Movement%E2%80%9D%2c+vows+protests+during+Beijing+Olympics

Phayul[Monday, July 28, 2008 15:42]

By Tenzin Sangmo
Phayul 2008年7月28日 テンジン・サンモ

ニューデリー、7月28日】――チベット青年会議(TYC)は、北京五輪に反対し、チベット占領状態への抗議を示す「チベット人による大規模運動」第二段を打ち出した。
オリンピックを見据えて続行するキャンペーンの一環として、TYCは本日、「チベットのための無期限断食――水・食糧断ち」を、ジャンタルマンタルにて開始した。
この大規模運動は昨年8月8日、2万5000人のチベット人が世界中からインドの首都に集まり、中国による夏のオリンピック開催に反対するデモを実施した時から始まっている。
昨年8月には、14人のチベット人が33日間「死の無期限ハンガーストライキ」を行った。

今回は、中国がTYCの要求を聞き届けるまでとして、6名のチベット人が食糧も水も絶ったハンスト要員に志願した。
彼らの名前とプロフィールは次の通り:
シツェル・ニマ(37歳)、ソナム・ダクパ(ソダク・31歳)、テンパ・ダルゲ(25
歳)
(以上3名は南インドのセラ僧院ジェ学堂テホル僧房所属)、
ツェリン(23歳:ムンゴッドのデプン僧院ロセリン学堂所属)
ジャンチュプ・サンポ(28歳:ダラムサラのマクロードガンジ在住)
ワンデュ・プンツォク(31歳:ダラムサラのノルブリンカ在住)

ソナム・ダクパは、今年実施されたチベット人蜂起運動の一つ「チベットへの行進」の中心メンバーでもあった。
「私達が北京五輪に対して抗議を行っているのは、中国が人権を向上させるという自身の約束を守っていないためだ。
彼らは法王を分離主義者として非難し、TYCをテロ組織呼ばわりしている。
私は中国に対して、自分達の批判を実質的な証拠をもって示すよう、真剣に要求する」

状況が深刻な様相を帯びているのは、水だけは摂取してきた従来のハンストと違って、今回の6名のうち5名の僧侶は、食物を絶つだけでなく一滴の飲料も摂らない、と言っているからだ。
多くの医師は、健康な人であれば食物を摂らなくても水さえあれば生き延びることができる、としている。
だが、水無しでの生存と食糧無しでの生存は、大きく異なっている。
ある程度健康な状態であれば、極度な暑さや寒さにさらされない限り、人は水を飲まなくてもおよそ3日~5日間は生存できる。
より健康であればあと一日、もしくはそれ以上、生き延びることができるかもしれない。
けれども、食糧と水の両方とも摂取しないというのは致死的であり、医療の観点からは、人は水を飲まない状態では、けっして一日以上過ごしてはならない、とされている。

TYCによると、ハンストに入った6名は、世界中に散らばっているチベット人600万人の苦境を代表している、という。

この日のメイン・イベントの公式スタートを記念する儀式ランプを点灯したのは、主賓として招かれていたチベット全党国会議員連盟(All Party Parliamentary Forum for Tibet)議長シュリ・バシスト・ナライン・シン国会議員。

特別来賓の『ティバト・デシュ(Tibbat Desh)』誌編集者であり卓越したジャーナリストのビジャイ・クランティは、次のように述べた「『オリンピックは植民地主義国家の植民地利益のために濫用されるべきではない』と、立ち上がって世界に訴える――少なくとも、それが私達の責任だ。
断食というイベントの開始に立ち会うのは、個人的にはまったく喜ばしくないと認めざるをえない。
だが自分自身の意見を表明する非暴力な手段というのは、時として本人には非常に冷酷な状態をもたらすことになる」

「けれども、特定グループの政治的な意見を表明するために爆弾を用いて、政治問題とはまったく関係ない人々を巻き添えに殺傷するよりは、こちらの手段の方が遥かに上等、とも認識している

TYC議長のツェワン・リジンは報道陣に次のように述べた。
「チベット青年会議は、中国共産党政権による残虐な弾圧の下、チベットでは人々が甚大な苦しみにあえいでいるという深刻な状況ゆえに、本日、このハンガーストライキを開始した。
3月10日以降、チベット域内のチベット人達による歴史的な蜂起に続いて、チベットは実質的にまったく自由のないまま封鎖されている状態だ。
私達の活動を通じてチベット問題を国際舞台に訴え続けること、そして中国政府にできるかぎり圧力を与えること――これらが亡命チベット人の果たすべき責任であると、私達は考えている」

TYCは8月7日にも、ガンジーの非暴力と「サッティヤグラハ」(真実の主張)の原
則に基づいた「大規模デモ」を計画している。

————————————–

コメントで教えて頂いた、ラサの状況を知らせるフランス人特派員の記事

2008-07-28 23:55:55
支配下にあるチベット(Obsの記事)【1】

« On ne dit plus rien, sauf aux amis très sûrs…»
Le Tibet sous la botte

絶え間ないパトロール、絶えず繰り返される身分証の点検、市街地での密告者、監視カメラ、盗聴マイク。チベットの反乱から4ヵ月後、中国の国家権力はラサで猛威を振るう。ジャーナリストは追放されたラサで、スターリン的な最悪の抑圧を思い出させるパラノイアを、我々の特派員ユルシュラ・ゴティエUrsula Gautier が確認した。

ラサでは、タクシーの運転手は殆ど全て中国人であり、輪タクはほとんどすべてチベット人である。それこそチベット人を歯軋りさせる、社会的地位の不平等の最も目立つ徴候の一つである。しかし3月14日の反乱の制圧と事実上の戒厳令実施の後、ほんの少しの不満も聞こえない。声を上げるためには、気が狂うか、無意識でなければならない。あるいは酔っ払うか。叛乱から3か月後、6月のある日にタクシーに乗った若者の事件にあてはまる。この青年は「チベットの良家」の出であり、ほろ酔いで多分、横柄だった。確かに、党の幹部である父親の如才なさを信用し過ぎていた。征服された国でのようにチベットで振舞う中国人に対する罵倒を繰り広げた。平時なら運転手は、この父親がかりの息子が免許証を取り上げるのを恐れて、低姿勢をとっていただろう。しかし時代は変わっていた。四川省出身の庶民的なタクシー運転手は、最初の交差点で停車し、街の至る所にいるのと同じようにそこで配置された兵士に訴えようとした。軍人たちは酔っ払いに襲い掛かる。ノーメンクラトゥーラ出身のgolden boy にふさわしい身なりにもかかわらず、彼が中国語で叫んだ父親の名前にもかかわらず、兵士たちは彼を舗道に投げつけ、足蹴りにして襲い掛かった ― 結果として死に至るまで。激しい恐怖に麻痺した大群衆は、その全光景を、一言も発せず、身動き一つせずに見守るだけだった。

 任務は完了した。全てのチベット人は今後、序列の上から下まで、中国の国家権力に対する不敬がほんの少しでも疑われたら死の危険を冒すことになると知ることになる。中国の銀行の金属製格子を引き抜きながら興奮の叫びを上げ、軍のトラックに投石し、中国人商店に放火し店員に暴力を振るった、若者の群れの、危険な大胆さをラサは忘れなければならない。これら混乱と叛乱の日々の驚くべき映像を一通りテレビに流した後、国家権力は今、心に恐怖を植えつけようとしている。

 軍の存在は圧倒的であり、身分証の検査は絶え間ない。自らの書類を持たないことは直ちに逮捕されることになり、時には最終的な死亡につながる。なぜなら、3月の動乱の原因である「犯罪的成分」に対する闘いは終わっていないからである。捜索中の暴動参加者のリストが常に公共の掲示板に貼り出されている。監視は特に、赤銅色に染めた長髪の、手首にロザリオを身に着け、首にトルコ石、あるいは金歯の大男に向けられている。高原からのチベット人、3月の反乱者の主要部分を担った人々である。「大部分は彼らの出身地に送り返された」、匿名のラサの住民がため息をつく。「近くでも遠くからでも、反乱に加担した人々は逮捕され、拷問され、強制収容所に送られた。中国人の女友達は、事件の数週間後に列車に乗ったとき、怪我をして足を引きずり、汚い包帯を巻いた、手錠をかけられた、何百人もの人々が西寧Xining行きの列車に乗せられるのを見た。そこから、彼らは新疆Sinkiangに送られ、中国で最悪の強制収容所に入れられる。遊牧民あるいは文字の読めない農民の家族は、説明を求めようとしない・・・」

 この容貌に基づく狩猟により、祈祷輪を回す、宝飾品で身を飾った印象的な遊牧民がラサの街からいなくなった。中国の主人に対して敢えて立ち上がった誇り高きカムパスKhampasと似たあらゆることを追い出すこと。ラサの流行の最先端を行く若者たちの間で通用する「民族的」流行を追い出すこと。「もう誰も肩にかかる髪をしていない、危険すぎるからだ」、ある音楽家が苦笑とともに説明する。「誰もが、中国人として通用する廃れた髪型に甘んじた・・・」 どこにでもいる軍服からの疑いを招かないように祈りながら。

 どの交差点でも、どの公共の建物、目立つ、あるいは象徴的な地点(ガソリンスタンド、郵便局、銀行など)の前でも、兵士のグループに出くわすことなく3歩も歩くことができない。陰険な雰囲気で、扇形に展開した、指を引き金にかけて銃を外側に向けた兵士である。全ての大通りと小路では5分毎に、硬い表情で、迷彩服を着て白い手袋をした、軍のパトロール隊が足音を鳴らして分列行進する。緑青色のトラックが大通りを通る。ヘルメット、盾、警棒、銃器で完全武装した武警wujing(武装警察)という積荷を見せびらかしながら・・・ 街を囲む数多くの兵舎は、これらの部隊の流入に対して不十分ではないだろうか?その磨き上げられた乗り物、最新型の装備とともに四川省から来た軍の部隊は、その後来訪者に対して閉ざされたチベット博物館、チベット図書館をこれ見よがしに占領している。

(つづく)

URSULA GAUTHIER

出典

LE NOUVEL OBSERVATEUR 2281 24-30 JUILLET 2008

http://hebdo.nouvelobs.com/hebdo/parution/p2281/articles/a380361-le_tibet_sous_la_botte.html

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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