チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年7月17日

対話 TCV COLLEGE その他

Pocket

880ba023.JPG中国との対話については、特使の一人ケルサン・ゲルツェン氏が

「中国側に誠意の政治的意欲も感じられない。こんな対話を続けても意味はない」
と発言。

http://phayul.com/news/article.aspx?id=21972&article=Tibetans+see+little+point+in+more+talks+with+China%3a+envoy

一方中国側はチベットの話をする気はない、ダライラマの処遇についてだけ話してもいいとか。

http://www.web-tab.jp/article/3433

中国、「チベットではなく、ダライ・ラマの未来」に関する協議を希望

【北京 7月15日 IANS】中国側がダライ・ラマ14世と協議したいのは、チベット自治区の未来ではなく「ダライ・ラマ自身の未来」―中国国務院新聞弁公室の高官が明らかにした。

 新聞弁公室の董雲虎氏は次のように語っている。「中国政府は、ダライ・ラマとチベット自治区の未来について議論するつもりはない。話すことは、彼とその支持者たちの未来についてだけだ」。

 中国側のこの立場について同長官は「ダライ・ラマは自身をチベット人の代表と主張しているが、少なくとも1959年以降、われわれはそう思っていない」と説明している。

 北京では7月1-2日、ダライ・ラマ側の特使と中国側の担当者が対話。ラサで発生した3月14日の暴動以降、初の対談となった。この暴動では18人が死亡、数百人が負傷している。

 中国側は先週、ダライ・ラマが中国に戻る「条件」として「暴力行為の停止」、「チベット亡命政府の廃止」、「チベット青年会議による”暴力行為”に関与しないこと」などを挙げている。

 また、董氏は故トウ小平氏の言葉を引用、「ダライ・ラマがひとりの中国国民として中国の発展に協力する意思があるならば」ラサに戻れる可能性があるとしている。

 ダライ・ラマ側との今後の対話について問われた董氏。「優先されるのは、3月14日の暴動などについて相互に理解すること」と語っている。(c)IANS/Pranay Sharma

ーーーー
最初から判っていることではあっても、こんなにはっきり言われたのですから、
もう次回は当分ないと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<TCV College >

TCV(Tibetan Children’s Villages チベット子供村)は1960年法王の意向を受け法王のお姉さんのデキィ・ツェリン女史により創設された。
初めは主に孤児を中心にした学校であった。
間もなくお姉さんが亡くなられた後を受け、妹さんのジェツン・ペマ女史が引き継がれた。
近年難民となりインドに亡命してくる子供が増加するにつれ、TCVは拡張され、現在はインド中に12の分校を持ち、常時15000人の子供を抱える大所帯だ。
亡命チベット社会においては政府をも凌ぐ規模と予算をもつ最大の組織となった。

法王の人気を受け、アマラ(お母さん)と呼ばれるジェツン・ペマ女史が世界を回り募金を集められたという努力によるところが大きい。

そのTCVが初めて大学を創るというのだ。

高校までのTCVを卒業してインドの大学に進む子は年800人ほど。
そのほとんどを全額ではないがTCVは奨学金をだしている。
(卒業時のインド全体試験で60%以上を取った子)

しかし、それまでチベット人だけで暮らしていた子供たちがインド各地の大学に散り、それそれがインドの大学の中で頑張るわけだが、これがなかなかうまくいかないこともよくある。
第一インドの大学はそのシステム自体、お金がないとまともな授業が受けれないというところも多い。所謂ツイッションシステムを取る大学が多いのだ。

理科系はまだしも文系においては大学卒業してもまともに英語が書けないチベット人は多い。
もちろんそのころにはチベット語をちゃんと書くこともできなくなっており、結局大学または大学院を卒業しても英語もチベット語もまともに書けないという子ができたりする。

あとはこのところアメリカ始め外国に移住し子供が大きくなってきたが、まともな大学に行かせる学費は無いというチベット人がインドにチベットの大学があるなら行かせたいという要望もあるらしい。

始めは教育学部から始めじょじょに総合大学を目指すという。
設計は一応Max3000人用となっている。
おそらく10~15年後にはそうなるかも?

今月の終わりには第一陣として72人の生徒と9人の先生が到着するという。
まだ、寝るとこも、教室も仕上がってない。
毎日頑張ってるが、もちろん突貫工事とかはやらない。
最初はテントでも!?いいんじゃないかと半分本気で言ってるのがチベット人だ。
クーリー(労人)が足りないなら生徒を働かせればいいし、、、木を植えたり、、
とかも言ってる。それってチャイルドレーバーには当たらないよね、、、?

実際インドではいろんな問題が起こってなかなか工事は進まない、例えば一番の問題は土地。これだけ広いと至る場所で土地訴訟が起こる。
事務所のものは毎日裁判所通いとなる。

もともとこのあたりの土地は政府が嘗てアンタッチャブル(ハリジャン、不可触賎民)たちに無償で与えた土地だという。彼らはすぐ敷地の隣に村を作ってすんでいる。
彼らはある仲買人に土地を売った。しかしその仲買人がちゃんとお金を払わない。
そこでかれらは(仲買人のところに行かないで近くの)工事を邪魔しに来る。
時にはポリスを呼んできて現場で働くクーリー(人工)たちを追い出す。
そのあとクーリーを集めるのは難しくなる。
例えばこんな問題だ。

この土地は広大で将来的には大学だけでなく、帰国子女用の高校、仏教大学、一般分譲地、さらにはダライラマ法王の老後の私邸?計画まである。

さて、、、チベットがもしも独立を果たしたなら!?どうするか?
もちろんすぐにすべてを売ってチベットに帰る!

ーーーーーーーーー

連帯委員会リリース 2008年7月16日
http://www.stoptibetcrisis.net/pr160708.html
Y女史訳

<放牧地をめぐる議論がデモに発展>

確認された情報筋によると、7月12日~13日頃、バタン地域の公安省からの派遣団が、解決済みだったバタンの2つのチベット遊牧民村の間の牧草地問題を調停しようとやってきた。
リンカ・シュード村とガンリ・ルンパ村の間では、地域の村長ジャンパ・ギャルツェンの仲裁によって、すでに議論が収まっていた。
にもかかわらず、公安省の職員らは、紛争を解決する権限は政府だけにあるという理由で、この村長による裁定を違憲であるとし、紛争地をリンカ・シュード村に与える
と決定した。

これが、ガンリ・ルンパ地域に所属する100軒以上の遊牧民家庭の怒りに火をつけた。
彼らは不公平であると異を唱え、また当局はチベット人コミュニティに分裂をもたらそうとしていると非難した。
ガンリ・ルンパ側は政府の決定を拒否し、当局にその地から出て行くように訴え、それが白熱した議論に発展。
当局は群集に対して銃口を向けて地元チベット人たちを脅そうとしたところ、状況はさらに激しさを増すことになった。
腹を立てた群集は、公安職員の手から二つの携帯を奪って壊し、スローガンを叫び始めた。
「ダライ・ラマ法王様にご長寿を!」「チベットはチベット人のものだ!」「チベットは独立している!」
叫びながら、群集は職員の乗り付けた乗用車2台を石で攻撃した。
職員らはその場から逃げ出さなければならなかった。

まもなく、郡長官に率いられて、治安部隊と工作チームの一団が2台のトラックで紛争の場に到着し、抗議行動を鎮圧しようとしたが、その頃には群集の男性達は全員、付近の山々へ逃走していた。
報道のあった頃、中国治安部隊と警察はガンリ・ルンパにキャンプして、逃亡したチベット人達に投降するよう命じていた。
だが現在に至るまで、警察に投降してきた者は誰もいない。

政府による統制の押し付けや、牧草地など遊牧民の土地に柵を立てようという施策が導入されて以降、チベットの遊牧民共同体の間の紛争が著しく増加してきている。
だた、こうした議論は通常、高僧や影響力のある地元の指導者によって、慣習と伝統にしたがって収められていたものだった。
しかし、こうした伝統的な紛争解決方法への政府による介入で、チベット人コミュニティはますます分断される傾向にある。

ーーーーーーーーーーーー

昨日の夜、ダラムサラのキルティ僧院の情報係りから電話があった。
「7月10日にキルティ僧院の僧侶三人が刑期13年から無期の判決を受けた」
詳しくはメールで送ると言ってたが送られてこなかった。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)