チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年7月9日
G8は終った
まずは、産経の山本さんというチベットの事を心にかけてくださってる、素晴らしい人の記事から。
【洞爺湖サミット】チベット問題はどこへ (1/2ページ)
2008.7.9 19:56
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080709/chn0807092000008-n1.htm
9日に閉幕した主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)は、拡大会合に参加した中国に対して、主要8カ国(G8)側が「北京五輪の成功」を願い、温室効果ガス排出抑制の枠組みへの参加を促す対応に終始した。世界に衝撃を与えた3月のチベット騒乱に対する中国当局の弾圧は、この日行われた米中首脳会談ですら事実上、棚上げされている。中国の加盟などサミット拡大構想も浮上するなか、「自由、個人の諸権利の尊重」を掲げた先進7カ国(G7)時代の理念が、岐路に立たされている。
サミット閉幕の直後、会場内で中国の胡錦濤国家主席と会談したブッシュ大統領は、「人権、政治的自由」については米側の考えを述べたと記者団に説明したが、チベットの名は挙げなかった。一方の胡主席は、「北京五輪開会式への大統領の出席を歓迎する。大統領が五輪の政治利用に反対したことを称賛する」と述べて、会談を終えた。
米中首脳の直接会談は、チベット騒乱後、これが初めて。中国当局の弾圧を非難し、一時は五輪ボイコットに大きく傾いていたフランスのサルコジ大統領もこの日、胡主席と会談したが、チベットや人権問題の追及にかわり、「五輪開会式への出席」を表明した。
洞爺湖での五輪出席表明は、福田康夫首相も同じ。すでに出席を表明していたブッシュ大統領は、「五輪開会式の欠席は、中国人への侮辱」とも述べていた。
チベット問題が回避されたのは、中国と米仏など、2国間レベルの会談だけではない。議長国を務めた日本側の説明では、中国、インドなど5カ国が参加したサミット最終日のG8拡大会合でも、やはりチベット問題は取り上げられず、サミットの政治関連の声明でも言及はなかった。
【洞爺湖サミット】チベット問題はどこへ (2/2ページ)
2008.7.9 19:56
http://sankei.jp.msn.com/world/china/080709/chn0807092000008-n2.htm
チベット問題がサミットで棚上げされた理由は、米国など各国が中国に求めていたチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の側と中国当局者による「実効ある対話」が実現された、との判断による。
ダライ・ラマの特使らは、今月3日まで北京を訪れ、中国共産党統一戦線工作部の杜青林部長と会った。双方の対話は、騒乱後これが2度目。内容はともかく、次回の対話を10月とする日程では合意したことで、「実効ある対話」が、サミット直前に整う形となった。
1975年、民主主義の価値観を共有する西側先進国が、世界経済への責務を果たす目的で発足したサミットは、80年代に入り政治討議の比重を高めた。
88年のトロント・サミットで採択された東西関係に関する政治宣言は、民主主義がもたらす繁栄への強い信念のもとで、「自由、個人の諸権利の尊重、および法の支配の下での平和裏の生存を求めるすべての人々の希求について、共通の信条を有している」とうたいあげていた。
チベット騒乱の直後には、宗教・文化的な権利を求めるチベットの現状に、多くのG8メンバーが、20年前に掲げられた「自由、個人の諸権利」「平和裏の生存」を重ね合わせていた。チベット問題が棚上げされた今回のケースは、中国への対処にとどまらず、サミットの拡大が共通の理念を見失う危険をはらむことをみせつけたようだ。(山本秀也)
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人気も経済的余裕も無く、中には任期もない首脳様たちがどんより曇った北海道に集まり、結局何もこれといった成果は無く、やり易いからとジンバブエを取りあえず悪者第一とし、後はオリンピックサービスでチベットは棚上げ。
良くない傾向です。
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今日情報省次官のサンペル氏に他の用で会ったので、ついでに一つ聞いてみた。
「今回の会談、ギャリ・リンポチェの記者会見では、まったくの失敗、破談と聞いている。
でも中国は、今回の会談は成功であった、中国側の4つの要求をダライラマ特使が了承したから、と言ってる。サルコジ初めG8だって会談は成功した(らしい)からもう今回はチベットのことは忘れることにしよう、なんて言うことになった。
これどう思う?」
「4項目なんて、最初からまるで実態のないことばかりじゃないか?
法王はずっと前から、独立などいってない。オリンピックを支持してる。平和主義者だ。TYCチベット青年会議がテロリストというが、もしそうならまずインド政府が彼らを逮捕するであろう。でも彼らをよく知ってるインドもそうは思ってない。」
もっと突っ込みたかったが、あまりに明らかで、これ以外に事実はないし、今さらではあるが、再び各国に裏切られ可哀そうなチベット政府を傷つけるような質問はもうできませんでした。
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ダライラマ法王は昨日7月8日、ラジャスタンのアジミールに行かれ、その地のヒンドゥー教の寺院にお参りされました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21905&article=China+Has+%22Never+Understood%22+Tibetan+Culture%2c+says+His+Holiness
その折、メディアに対し法王は
「中国政府はチベットの遺産、文化、伝統を決して理解したことがない。これがすべての問題の根本原因だ。しかし中国は逆に問題の責任を私に帰す」
「1959年以前に中国との間に<17条の条約>が締結されていた。しかし中国はチベットを理解しようとはせず、そのことが問題をさらに悪化させた」
「1980年代には中国政府はいったんチベットの統制を緩め、より<リベラル>な姿勢を見せたが結局長期的な解決を見出すことはできなかった」
等、語られました。
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ネパールで先月逮捕されていた、一時収容所の所長、チベット婦人協会の正副地区会長の3人が解放されました。
それとこの前もお知らせした秘密の帰還行進隊の現況を
Sさんが知らせてくれていますので以下コピペさせて頂きます。
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嬉しいニュースを二つ。VOT (Voice of Tibet)によれば、友人
のケーサン・チュンさんと他2人の女性計3名にネパール最高裁から釈
放の命令が出されました。
ケーサン・チュン・ラーたちは6月19日、自宅にいた所を「ネパール
の平和と中ネ友好」を侵害したとして逮捕され、3ヶ月の拘留を言い渡
されていました。釈放に当たっては、EUやアメリカの圧力があっ
たようです。(日本は入っていないみたい…)明日、カトマン
ドゥへ電話してみよう。
もう一つもVOTから。もう一つのチベットへの帰還マーチがソ
ル=クンブ地方経由で、チベット国境まであと3日の所まで来ました。
6月28日にカトマンドゥを出発。既に東へ500キロ(200キロの
地点まで車)を歩き、途中ニンマ派トゥーシー・リンポチェのトゥプテ
ンチュリン寺(エヴェレストの南ソル地方)を経由(か、同寺の僧侶が
合流したのか聞きそびれたが)、現在コーナンという聞いたことのない
地名の南に達しました。僧侶たち10名。彼らは不慣れな山歩きで頭痛
や腹痛に悩まされながらも、ネパール警察に妨害されることもなく、進
んでいます。バッテリーの切れそうなモバイルの声は、チベットで同胞
に出会ったら、クンドゥの言葉を伝えて、ああもしたいこうもしたい、
喜びに満ちていました。
どうぞ、雪山の荒ぶる神々、彼らを無事にチベットに迎えてください!
<6月20日に読んだ詩をもう一度掲げます。>
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チベットへの帰還讃歌
Rakra Thupten Choedhar(ラクラ=トゥプテン・チュダル)作 普阿尼訳
キキ ソーソー Lha ギェロー!
チベットの神々に勝利あれ!
ああ 故郷の兄妹たち輩(ともがら)たち かくも久しくご無沙汰して
います
私たちも異国に年月を重ねましたが 今 母なる国へ向かっています
ああ 有雪の山 荒ぶる神々よ
幾多の峠越え 谷越えに 御身の道案内を乞います
ああ カンチェンラワ(雪氷の障壁) 国境を護持する女神たちよ
通過するのは私たちです その国の門を私たちのために大きく開いてく
ださい
グルラチュクスム あなたの妙なる詩を聞けば
幾多の峠越え、谷渡りも 草花の楽園となりましょう
故国へと急き立てたのはあのラサの民衆の魂
今 私たちの胸は歓喜に高鳴ります
宝蔵の峰の守護者 テンマチューニーよ
荒野を進む私たちに和して 共に歌ってください
ああ ラサ、神々の住まい
かけがえのない わが同胞たちすべての都
私の足がひたすらあなたのもとへと駆りたててなりません
もと来た道を戻るなんて考えは とっくに捨ててきました
ラサの輩(ともがら)たち お迎えの酒はあとにしてください
ゆっくりと酒を酌み交わし、思いの丈を語り合う時間もありましょう
まずは チョカン寺シャキャムニ仏のご尊顔を拝したいのです
友よ、待っていてくれますね
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)