チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年7月5日

続法王特使の記者会見

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b61867b5.JPG記者会見は初めから質問形式で行われた。

覚えていることを何点か以下に記します。
(録音機持ってたけど、うっかり忘れたX局の人に貸しちゃったから)

ーーー

まず「もっとも困難な会談だったと言われたが、もっと具体的に言えば?」

ギャリ氏:「相手に話合う意思が感じられなかったり、真剣さが感じらえなかったりしたこととか、時間稼ぎ政策を感じたりしたからだ」

「前回と今回の会談はオリンピックを前にした状況の中、あちらも話合う気にさせられたのだろう。その意味でオリンピック後の会談を注視すべきだ」

日本のある記者「オリンピックに法王が出席する意思がお有りというのは本当なのか?具体的に亡命政府はこれに対し準備しているのか?」

ギャリ氏「法王がオリンピックに出席したい、とおっしゃったことは本当だ。しかし、誰も今中国がチベット弾圧を続ける中で、法王が本当に北京に行けるなんて本気に思ってはいない。だから政府内で何かこれについて話し合いがなされたこともない」

ある記者「法王は今度の会談の結果について何とコメントされたのか?」

ギャリ氏「法王ははっきり言って、がっかりされた。法王も今回の会談に対しては少しは期待されていらしたから。しかし法王の中道路線にはなんら変更はないことは確かだ」

記者「TYCチベット青年会議については?」

ギャリ氏「中国側は青年会議を暴力的テロリスト集団と呼んで、この活動を法王がやめさせることを要求してきた。

法王は世界中でその堅固でユニークな平和主義、人道主義を称賛される存在だ。
青年会議であろうとその主義に従っている。
これは根拠のない非難だ。

第一我々亡命社会は民主主義の社会だ。
法王であろうとも、個人や団体にある意見を強要することはできない。
だから<独立を求めることをやめよ>ということはおっしゃらないのだ、
と説明した。

もっとも彼らは私個人の経歴を調べており、かつて私が青年会議に関係していたこと(確か第4代あたりの議長だったはず)も知った上でこの話を出していると思うが、特別に青年会議を擁護するつおもりでそう言ったのではない。

いずれチベット人にとって暴力的手段は何の助けにもならない。

チベットの人達は命をかけても素手で声を上げているだけだ。
命にかけても非暴力を貫いているではないか。

法王はすでに<もしもチベット人がその抵抗を暴力に訴えて表すようなら、私はダライラマをやめる>とおっしゃったではないか、、、と説明した」

ーーーーー
2008年7月2日第7回チベット・中国会談 C/R phayul.com

ここら辺までは英語版のインタビューでした。

そのあと外人は出ていき、チベットメディアだけが残って引き続きチベット語版の記者会見が行われました。

そうそう、日本の記者の人たちも全員外に出て残ったのは私だけ。
しめしめ、、、これ以降は独占だね。

ギャリ氏もぐっとくつろいだ感じになり、良く喋ってた。だいたいがこの人は口が回り過ぎるぐらい良く回る人なのです。

最初に再度「みんな今回の会談に対しては、相当期待してた人も多いと思うのに、満足な結果を出せなくて、誠に済まないと思ってる」と謝りがちになる。

記者「全体に中国側の特使達に対する扱いはどうだったのか?」

ギャリ氏「前回までは到着しても先の予定など何も知らされないことが普通だった。
しかし今回は到着後、その後の予定を知らされた。これは大した進歩だ。
チベット人の研究者たちに会えたのも良かった。その他チベット人の高層、学者にも会った。これは以前より希望として伝えてあったことが実現したのでこれも良いことだった。もっとも全員政治的なことは話さなかったし、歴史の研究はひどいものだった。

もちろん中国の役人は大体紳士的に振舞う。しかしつねに中華的というか自分たちは大そうな国の高官であります的な高圧的態度が目立つというわけだ」

ーーー
その他ギャリ氏の言葉。

「法王を暴力主義者の黒幕のように言って恥ずかしくないのかとも言った。法王は世界中で平和のシンボルとされている。勇気をだして独立を捨てられたのだ。簡単な決断ではなかったのだ」

「チベット人の中には青年会議の中にもそのような人がいるが、何か独立を主張し激しい行動をするものが勇気あるものと、思われる傾向がある。これには注意すべきだ。真に勇気あるものは全体の利害をよく考え忍耐強く行動する」

こんなところですかね、後は重なる部分も多かったし、もうこれ以上よく覚えていない。
すみません。

もう今頃はX局のニュースが流れた後でしょうね。
何て言ってました?

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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