チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年7月3日

解放された人達のことなど

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38c8ef50.JPG北京チベット中国会談は終わったはずですが、
まだ今のところ何もニュースは入っていません。

ほんとに北京で行われているのかどうかも本当は判っていないのです。
完全秘密会議というやつです。

私は、今回、何らかの中国側からの譲歩?誠意?時間稼ぎ政策の見直し、前進等が無い場合は、もうこれから先、当分対話には期待し難いと思うのです。

オリンピックを前に3月以降のチベット弾圧を受けて、世界がこれまでになく圧力をかけてくれている今ほどの恵まれた環境はそう簡単に作れないのです。

ですから期待は少ししています。
だって、話にならないからと言って、他に手は何もないのですから。

極論すれば、これまで世界中のみんなが、日本人も含めてチベットのことに尽くしてきたのは、この会談でチベットに良いことが起こるためなのですから。

少しを得るのに何と多量の努力が要ることか。
それも空だったら!?

ーーー

もっとも中国は
フランスのサルなどオリンピックにこなくてもよい!」
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21824&article=Chinese+media+say+Sarkozy+unwelcome+in+Beijingcといつものように

メディアもネットも彼にヒスをおこしているようです。
中国人大丈夫ですかね?

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以下7月2日付緊急委員会プレスリリースより

http://www.stoptibetcrisis.net/pr020708.html

<僧侶たちが当局軍を追い返す

7月1日、20台の車が突然カンゼのガンデン・サンドゥップ・リン僧院に押し掛けた。
その時70人の僧侶たちは恒例の法会を行っていた。

武装公安隊は先にデモを行って逮捕されている5人の僧侶(イシェ・パルデン、ツェリン・プンツォック、イシェ・ダルゲ、セルガ、シェラップ・タシ)の部屋を捜索するために来たと言った。
これに対し僧侶たちは「まず先に逮捕されている5人の消息を知らせよ、それもない場合には、あなたたちのこれらの行為は神聖な僧院を汚す行為を看做す」
と言った。
その後双方入り乱れる乱闘となった。

結局当局はこの日は引き揚げて行ったという。

ーーー

6月28日午後2時半頃、カンゼ、セルタ地区ヌップシュル僧院の三名の僧侶が平和デモを行い、その場で逮捕された。
三名の氏名はトゥルク・ゲンデン、サシ、ギャチュク・ワンチュク。

ーーー

獄中心臓麻痺で死亡?

ラサ近郊タクツェのロ僧院の元僧侶ガワン・パッサンは、この地方ではその温かい善良な人柄で有名であり、<ロゴンパのラマ>と呼ばれていた。
その彼は5月中に監獄での激しい拷問の末、心臓麻痺で死亡したと家族は告げられた。

彼は1993年から政治活動をしたということで以前にも獄に6年繋がれていた。その間にも様々な拷問を受けたという。
出獄後はラサのメンズーカン(チベット医学院)の生徒となり医学を勉強していた。
3月に再び逮捕された。
遺体は家族に返されたという。

ーーー

同じく元政治犯であるタクツェ地区パグモ僧院の僧侶テンジン・ナムギャルは3月に逮捕され、最近解放された

明らかな拷問の結果、
無残な姿と成り果てて。

当局は彼がこうなってしまったことを口外しないよう脅すことは忘れなかった。

彼もまたかつて1993年に逮捕されダプチ刑務所に6年を過ごしたことがあった。

ーーー

1991年に逮捕され13年間ダプチ刑務所に収監されていた、元デブン僧院の僧侶も3月に再逮捕され最近解放されたが同様の様態にあるという。

3月以後嘗て一度でも政治的な理由で逮捕されたことのあるチベット人たちの多くは同様の仕打ちにあっている。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

RFAの伝えるところでは、

毎年カム地方で盛大に行われる、競馬大会が今年は当局の命令により開催できないことになったという。

とくにカンゼとリタンの競馬大会が有名であるがこれらも開かれない。

前年この大会の最中プロチベットな騒ぎがあったのでこれを警戒してのことと思われる。

沢山のテントが張られ、派手に着飾った乗り手が繰り広げる様々な競技は地域のチベット人皆の大きな楽しみの一つであったはず。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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