チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年7月2日

ネパールの帰還行進、 ナクチュタルモ僧院、 貴州省暴動

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C/R Manuel Bauer
今日でチ中会談は二日目、最終日。
バンキムーン氏も今日は北京じゃなかったっけ?
様子を見に行ってくれればいいのだけど。

中国国内のオブザーバー無しの会談で何が得られるか?
「時間稼ぎ」政策の変更はあるのか?

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ネパールの帰還行進
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21810&article=Marchers+arrested+near+Tibet-Nepal+border+-updated

昨日7月1日、一週間前にカトマンドゥの近くから出発した42名のグループは、山間部を迂回した後、中国国境の町ダムに向かう国道に出た。
国道を4キロほど歩いたところ、国境まで7キロの地点で3,40人のネパール警察に囲まれ、行く手を阻まれた。
全員平和的に逮捕されたと。

同じく帰還行進の一環として、9人の別グループが6月27日出発している
このグループは、はじめカトマンドゥから200キロほど車で走ったところから歩きはじめたという。
すでに100キロほど山間部を歩き(トレッキング)順調に国境に近付いている。

彼らは逮捕を恐れ、現在の居場所を秘密にしています。

ーーー

さてどの峠をめざしているのでしょうか?
200キロに100キロというと、、、やっぱアンナプルナ周辺か?ムスタン越えられると思わないし、、判りません。東に行ったかも?

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<タルモ僧院の僧院長以下四名逮捕される

7月1日付委員会リリースより、
http://www.stoptibetcrisis.net/pr010708.html

6月18日、中国当局はナチュ県ドィル地区のタルモ僧院の僧侶4人を逮捕した
彼らはラサへ向かっているところだった。
逮捕理由は僧院から無断で逃走した、ということとか。

4人は:
僧院長ガワン・ギェルツェン42歳
事務長ガワン・ジャンパ40歳
ガワン・サンゲ38歳
ケルサン・ロチョック20歳

中国当局は3月末チベット全土に軍隊を派遣しいたるところで<愛国教育キャンペーン>を始めた。

そのころこのドィル地区をはじめ周りのソック地区、ダチェン地区にも軍隊が押し寄せ、僧院ではダライラマ法王を否定するための<愛国教育>が盛んに行われた。

タルモ僧院にこのチームが来た時、僧院長のガワン・ギェルツェンは「仏教徒として自分の根本の師(ツァウェーラマ)を非難することは道徳的に正当化できないことだ」
といって、当局に従わなかった。
さらに彼は「中国は早くダライラマ法王をチベットに御招待すべきだ」と要求さえした。

僧院の僧侶全員が一体となってその時はチームを追い出した。
しかし当局は「今にみてろよ、酷い目に合せてやるからな!」と言って出て行ったという。

であるから、今度の逮捕も僧院から勝手に出たというのは口実で本当はこの時の事件が関係していると思われる。
現在4人は所在不明。

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貴州省事件

中国南西部の貴州省の事件はもう日本でも有名な話でしょうね。

新華社でさえ市民3万人が抗議に集まったと言ってます。
ついでに「車両20台、けが人150人内警官100人」と言って警官ばかりがやられたような数字です。
死者は一人と今のところ言われてますが、、、
RFAのホンコン筋の情報では
http://www.rfa.org/english/news/china/riot-06292008161857.html
電話証言から
4人死亡の可能性をも指摘しています。

それにしても、まずは少数民族もかつては大勢住んでいた貴州省というのが香ばしいですね。

全くひどい話だけどチベットじゃよくある話だろうし、中国中いつでもどこでも起こりうる話だとも思う。

それにしてもそれに対する中国人の反応もすごいものがある。
普段からの政府、警察に対する不満の度合が知れるというものだ。

中国人(漢民族)に対してもこんなことで発砲する政府だから、チベット人に発砲しないわけないのです。

こうして中国いたるところで暴動がおこる。
年間暴動件数87000件とか、まるで暴動国民だね。
85年中国に行った時も大都市ならいたるところで本気の殴り合いのけんかしてるのを目撃したものだった。動物化された人々と感じました。
もちろん政府に対する暴動が起きることは一応歓迎なのですが、、、

こんな民族ではたとえ民主化されたのちにも暴力的性格から抜け出すのは相当の時間を要することでしょう。
まじめな話、早く法王を迎え入れて説法を聞くしかないと思います。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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