チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月25日

チベットに外人が入れる?デモに当局はクロロホルムを使用。カンゼで発砲発言は本当。

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358521ea.JPG写真はTCVスジャスクール、食事前のお祈り風景。

実はさっき一度アップしたつもりの全文が消えてしまった!
もう一度同じことを書くことは、、、我慢我慢。

ーーー
昨日でしたか、「チベットは再び外国人旅行者を受け入れる」と新華社が報じたとか。
もう多くの人はこのことをご存じと思います。

グループだけですかね?
陸路は鉄道だけとか?
カム、アムドは?
むりむりでしょうね。

お金と時間と少し勇気のある日本人はどんどんカム、アムドに向かいましょう。
ラサ周辺だけでも観察すべき場所はたくさんあるはず。
これからチベット内部に行かれる方は、以前のブログを参照し、目当ての場所と得るべき情報を確認して、しっかり現状を報告してください。
このブログのコメントにまず報告してくださってもいいです。

カンゼ、アバ、地震の被害地は無理か?

人任せでなく、私も早く行きたいですね。

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そのカンゼでは
当局はデモを行った一人の女性にクロロホルムを使用した
http://www.stoptibetcrisis.net/pr240608.html

6月18日カム、カンゼ地区デゴンポ寺院前で一人のチベット人女性が平和的デモを行った。
彼女の名はパッサン・ドルマ、ランガ村出身22歳。
目撃者の証言によれば、武装警官は逮捕の時クロロホルムのスプレーを使用したという。これは逮捕を音無しに行う為と思われる。

彼女はデモに先立ち、友人に自宅の鍵を預けたがその時彼女は「私はこれからデモをやる、その場で殺されるかも知れない」といい、私の最後の言葉として兄弟に伝えてほしい「両親は二人とも最後までチベットが再び自由になることと、ダライラマ法王がチベットに帰って来られることを願い、夢見ながら死んで行った。
この両親の意志に従い、心からの願とともに強い決心を以て今日私は行動する。
たとえこのことで命を失おうと、決して後悔しない」
と。

何と健気な話しであることか。

ーーー

6月21日午前11時頃、同じカンゼのミンイェン・ダプ村出身ジャンパ・チュペル
は頭に法王の写真を縫いつけたカタを巻き、手にはチベット国旗を持って一人平和デモを行った。
直ちに彼は武装警官隊に囲まれリンチを受けた後逮捕された。

その他数件のデモの報告がある。

ーーー

一人監獄での死亡が確認される。2人の政治犯が夫々刑期13年と15年を言い渡された>
本日25日付のリリースによれば

http://www.stoptibetcrisis.net/pr250608.html

アムド、レコンのルチュ村出身の僧侶ジグメ・プンツォックは6月22日ナ・ゴルモ(ゴルムト)刑務所内で死亡した
当局は家族に対し、<彼は病気で死んだ>という書類にサインしない限り遺体は引き渡さないと言っているという。
同意しない場合には遺体は当局が勝手に処分するとのこと。

ジグメ・プンツォックはラサのデブン僧院の僧であり、デブンで逮捕された後、このゴルモ刑務所に移されていた。
情報ではラサで逮捕された多くのアムド出身の僧侶たちがこの刑務所に送られているという。

ガンス地方カンロチベット族自治区当局は、6月15日二人の僧侶に夫々刑期15年と13年を言い渡した
二人はカンロ県のチョネ地区にあるタシ・チュコルリン僧院に所属する
44歳のテンジンと24歳のテンジン・ギャツォである。

テンジンは3月の反中国デモを扇動した罪、テンジン・ギャツォの方はドコル市内の学校で中国国旗を降ろし代わりにチベット国旗を掲げた罪を問われた。
もちろん何時ものことだが、二人は弁護人を付けることも許されず、非公開のうちにこの決定が下された。

チョネ地区では引き続き僧侶テンジン(23才)、レクシェ(23才)、ウセル(20才)及び5名の氏名不詳のチベット人が近々刑期を言い渡されるという。

カンゼではすべての地区で反中国デモに対する<緊急愛国再教育>が行われた。
その中で当局はデモする者に対しoutright massacre if they rise against the govt.,政府に逆らうものは徹底殺戮されるであろう。
saying, “we will kill one if one rises, and two if two rises”.
一人立ち上がるなら一人殺そう。二人立ちあがるなら二人殺そう、と明言した

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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