チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年6月21日
チベット圏地震被害情報、最近の内地からの電話より
オリンピックトーチャートーチは本日ラサを通過しました。。
ノルブリンカで開会式の後、朝9時にトーチャーは出発し、2時間かけてポタラの前まで、両側に垣根のように並んだ軍隊の中を、面白おかしくジョギングして、閉会式。
もちろん厳密に選ばれた出演者達のみ、トーチに声援を送る隊としてカメラに映ってた。
後は異様にシーンと静まり返るラサの街。全ての商店のシャッターは下ろされ、沿道の全ての窓は閉じられている。
何と象徴的な光景だろう。
窓から顔を出しただけで、屋上に待機する狙撃隊により射殺されることだってあり得る。
当局は「トーチを妨害しようとする者は”severely punish” and “give no indulgence”何ら容赦されることなく 厳しく罰せられる」と言明しているのだから。
こんな状況の中、何のためにラサにトーチが来たのか、
世界に圧政国家の勝利を見せびらかすためにか!?
中国はほんとに残酷で不思議な国だ。
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今回の四川地震でチベット内の被害状況については、今だに全くと言っていいほど情報が入っていません。
先のブログでも部分的にお知らせした、震源地に近いタシリンの状況を、その他現地からの電話で確認された近隣の被害状況と合わせお伝えします。
続いてすでにお伝えした事件が多いのですが、
最近のチベット内の状況を伝える、現地よりの貴重な電話を紹介します。
以下はRFAリリースをY女史に翻訳して頂たものです。
http://www.rfa.org/english/news/latest_update_tibet-20080325.html-03312008133917.html
チベット域内に住む人々との通信がますます難しくなってきている中で、海外の
家族や友人との携帯電話での会話や人づてによる情報が唯一、内部の状況を伝えている。以下安全上の理由により、情報元の個人を特定するような名前は伏せてお伝えする。
四川省チベット自治州ンガバ(中国名アバ)タシリン郡(中国名、理県リシアン)からの電話: 2008年6月11日
「歴史的にこの地域はチベットと中国の境界にあって商業の街としてにぎわって
いた。〔地震によって〕大勢のチベット人の家が壊れてしまい、大勢の人々が今
はテント暮らしだ。タシリンのギャロン僧院も倒壊した。再建計画も持ち上がっているが、現時点では幾つかの障害に直面している。大勢のチベット人達が崩れた家の下敷きになった。タシリンだけでもかなり大勢が亡くなっている。私自身もタシリンの瓦礫のしたで大勢のチベット人が倒れて亡くなっているのを見た。」
「とても強い地震で、突然のことだった。この地域の家々を揺るがして、多くの
家屋が崩壊した。地震の後この地域全体を見たわけではないが、タシリンでは
100名ほど亡くなったと聞いている。そのうちほとんどがチベット人とチャン人だ。私もチベット人一人が亡くなったところを見た。
彼は孫を助けようとしていた時、石が家から落ちてきて頭にぶつかってしまった。
病院へつれていかれたが、亡くなったと言われている。彼の名前はアムツォ、47歳だ」
「地震の後に激しい雨が続き、雨の中で過ごさなければならないチベット人もい
たが、テントや即席のシェルターみたいな場所で過ごす者もいた。ほとんどの救
援活動は文(さんずいに文)川に集中していたため、タシリンまでは外からの救
援チームは来なかった。地元の郡役所の職員は、住民に家の中でなく屋外に留ま
るよう、警告していた。救援チームは5月13日か14日にやっと到着した」
「現時点で、タシリンのチベット人は避難場所が不足しているため、厳しい問題
に直面している。人々は地震で家を失い、大勢のチベット人には家を建て直す資
金もない。食べ物はそれほど大きい問題ではない、というのもこの地域のチベッ
ト人はほとんどが農夫だからだ。中国政府は各家庭一人ずつに対して1キロの米
と10元のお金を支給している。今でも、震度4から5の余震が続いており、地震
学者達は今後2、3ヶ月にわたって、この程度の余震がさらに続く、と予測してい
る。そのため地元の人々は恐れていて、テント暮らしを続けている。誰も自分の
家に近づかない。政府は、〔建て直し費用の〕約30%を保障すると言っている
、つまりどの家も最低でも7割の費用は自己負担しなければならない、ということ
だ」
「〔ニュースでは〕亡命したチベット人から募金が寄せられている、と報じ
られている。チベットの外に住んでいるチベット人が、チベット域内の同朋のた
めに祈りを捧げてくれている、とも聞いている。チベットに住んでいるチベット
人は、これを聞いてとても喜んでいる――特に、タシリンに住むチベット
人は喜んでいる」
チベット域内から知らせを受けたという、インドにいるチベット人からの情報: 2008年6月11日
「地震によって、文(さんずいに文)川では5名ほどのチベット人が亡くなった。
ほとんどが学生だ。文(さんずいに文)川の小規模なチベット人グループは、農
夫達だ」
「甘粛省カンロ(中国名・甘南地区)テウォ郡(中国名・迭部県(Diebu))では
地震でチベット人約3名、マチュ(中国名Maqu)では6名が亡くなったと報告されているが、詳細はわからない。カンゼ自治州のロンタ(中国名Danba)ではチベット人3名が亡くなったことがわかっている」
四川省カンゼ・チベット自治州のチベット人男性より: 2008年6月12日
「カンゼでは6月10日、11日、12日に続けて抗議行動が起きた。12日には、チベッ
ト人の若者パルデン・ワンギャル(20歳)がカンゼの中心街で抗議を行った。彼
は頭に白いスカーフを巻き、チベット国旗を持っていた。抗議をしながら2キロほ
ど歩いたところで、警察に捕まって拘束された。3月18日以降、カンゼでは100名
以上のチベット人が逮捕されている。そのうち半分だけは〔まだ〕カンゼで拘留
されている。それ以外の人々は、ニャロン、ダルツェド等、他の郡・地域に送
られている」
四川省カンゼ・チベット自治州のチベット人男性より: 2008年6月11日
「6月11日午前10時頃、カンゼ街の交差点で、ラカ村出身の女性ナムセル・ラモ(30
歳)、男性テンジン・タギェル(32歳)ともう一人の男性(名前は不明)が抗
議行動を行った。同日、ロバ村出身の僧侶1名と少年1名も抗議を行っている。5名
とも激しく殴打され、拘束され連れ去られた。その後、地元の役人数名が
ナムセル・ラモの家を襲撃し、ダライ・ラマ法王の写真をとりあげて床に叩きつ
けた。それを見ていたナムセル・ラモの兄弟であるペマ・ギャツォは、刀を抜い
た。役人達は家から逃げ出したが、まもなく約200名の中国治安警察が彼を逮捕す
るためにやってきた。ペマ・ギャツォはその前に山間部へ逃げおおせている。中
国の役人達は、年老いた両親や小さな子供達を含む残された家族に、厳しくあた
っている」
ンガリ県(中国名・アリ(Ali))で仕事をしているチベット人男性: 2008年6
月3日(カンリンポチェの西)
「中国のヘリコプターがほぼ毎日、ンガリ地域上空を飛んでおり、軍用トラック
の集団が県の主要な街々に展開している。地元のチベット人は、こうした活動を
自分達に見せつけて脅すためだろう、と考えている」
「中国当局は、その地域にいるすべてのチベット人に対して、各家庭から一人を
地元の中国軍に服役させるよう命令を出している。徴兵された人々はンガリのタ
シ・ガンという場所で訓練を受けさせられている。彼らは中国の制服を着るよう
強制されている」
「警察は、地域の状況についての情報を外部に提供しないように、とチベット人
に警告している。伝えようとしているところを捉えられた者には厳しい刑罰が待
っている」
四川省カンゼ・チベット自治州ダゴ郡(中国名・ルフオ(Luhuo))のチベット
人女性(79歳)より: 2008年6月3日
「『愛国教育』運動はここ数日間、ダゴ地域のチベット人居住地域や僧院で激
しく推進されている。5月31日には中国当局がダゴのチョグリ僧院付近の街で集
会を開き、人々に対してダライ・ラマ法王を非難させようと無理強いした。大勢
の貧しいチベット人達は大金を示されて、ダライ・ラマを批判しチベット独立に
反対するようにと促された。中国側は、こうしたダライ・ラマへの批判行為に重
きをおいているように見える」
「私は79歳だが、ダライ・ラマを非難することへの報奨金だなんて、これまでに見たことも聞いたこともない。ダライ・ラマを批判しないチベット人は、地域から追放するぞ、と脅されている。中国の役人は、すべての土地は中国に所属していると主張し、愛国教育運動に従わなかったり〔ダライ・ラマを非難する文書に〕署名するのを拒んだ者は、インドにでもどこへでも好きに行くがいい、と言い放った」
「貧しい家族の中には署名した者もいたらしいが、9割のチベット人は、土地や家
屋を没収すると脅迫されているにも関わらずダライ・ラマ法王の批判文書への署
名を拒否した、と聞いている」
チベット域内から聞いた話を伝えてきた、インド在住チベット人からの電話: 2008
年5月5日
「4月28日、ゴロ(中国名・グオルオ)・チベット自治州のホンコル僧院出身のチ
ェドゥブが中国治安部隊に撃たれた。彼は初期の抗議活動に関わっていて、隠れ
ていた。4月下旬頃、食料を求めて家に戻った時、中国警察が彼の家を囲んで殺し
た。5月4日には、チェドゥブの母親のワンドルも撃たれており二発の銃創を受け
ていることを知った。両親、一人の姉妹、三人の兄弟、そしてその家出身の転生
リンポチェ(高僧)も拘束されている」
「彼の家族では、二人の小さい子供だけが残されている。チェドゥブの父親は手
枷足枷をはめられて拘束されたままで、息子の遺体を確認するよう連れていかれ
た。中国の役人は、この家族の全財産は政府が没収した、と宣言している」
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)