チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年6月18日
チベット内では今も様々な迫害が続く。
サカダワの今日も夕方からキャンドルライトビジルが行われ、ツクラカンの前庭では集会がありました。
上の本堂の周りはコルラする人、五体投地でコルラする人達で一日中大勢の人がお参りにきていました。
参道には恒例のインド人乞食の長い列が続いていました。
チベット人がこの日には沢山布施をすることを知っていて、近隣の乞食たちもこの日にはダラムサラに集まるのです。
そんな平和なダラムサラですが、
闇に閉ざされたチベットの中で人々は密かに祈っていることでしょう。
サラダワの日にも悲しいニュースは届くのです。
http://www.stoptibetcrisis.net/pr160608.html
連帯委員会 2008年6月16日 リリースY女史訳
確認された情報によると、3月と4月に逮捕された(と複数の情報筋によって確認
されている)大勢のチベット人達の所在が、その家族が捜索し続けているにも関
わらず、不明のままである。たとえば、デプン僧院で学んでいたが正式には僧
院に登録していなかったペマ・ツェリン、ペマ、サムテンの僧侶三名がいる。
彼らはトゥルン・デチェン郡チュサン町の出身で、中国当局により3月10日、デプ
ン僧院で逮捕された。だが、家族や親族達がラサ周辺のあらゆる刑務所や拘置所
を探し回ったにも関わらず、行方は依然として判明していない。
同様に、ラサ出身の僧侶ロプサン・ワンチュク、ロカ出身のタシとその息子のプ
ンツォク・ツェワンは、4月中旬にデプン僧院で90名の僧侶とともに逮捕されて
いる。それ以来、彼らについての情報を耳にした者はいない。
ラサ当局は最近の一掃作戦において、ラサ出身の知識人チベット青年テンジン・
チョダク(通称テンチョ)を、3月の抗議行動に参加した容疑で逮捕した。彼は4
月に自宅で逮捕された。父親はケドゥプと呼ばれている。逮捕されたテンチョと
その他数名のチベット人は、まもなく判決を受けると言われている。
20歳のテンチョはラサの社会福祉団体に勤務していた。
3月14日の抗議活動に対する無差別銃撃で、ソナムという女性がラモチェ僧院付近
で中国側の発砲を首に受けた。彼女はラサ・チベット医学研究所病院に三日間入
院し、手当てを受けていた。
だがソナムは、中国本土で勉強していたという彼女の娘チュ・ラク(フルネームは不明)およびその他の負傷したチベット人とともに、中国治安部隊によって病院から連れ出され、尋問を受ける際に激しい拷問にさらされたという。
母娘は5月下旬に釈放されたが、二人とも身体に障害が残り、深刻な状態に陥っているという。
http://www.stoptibetcrisis.net/pr170608.html
連帯委員会 2008年6月17日 リリース
Y女史訳
確認された複数の情報筋によると、6月15日、チベット自治州カンゼ郡(県)カンゼにて、少なくとも一人のチベット人男性が、平和的なデモを行った後に逮捕されたと伝えられている。この男性の詳細については不明である。
その前日の14日には、カンゼ郡テホルにあるカンマ・ゲンデン・サムドゥリン僧院の僧侶イェシェ・パルデンが、公安省郡役所の前で抗議を行い、「ダライ・ラマ法王にご長寿を!」「法王はチベットにお戻りになるべきだ!」「すべてのチベット人政治囚を釈放せよ!」といったスローガンを叫んだ。
彼は治安部員に鉄棒で激しく殴られた後、逮捕された。
中国政府とチベット政府役人の間の民族問題をめぐる思想の対立によって、セル
タ郡ホーシュル地区のチベット人長官が5月、中国人の上級長官に撃たれて死亡し
た、と伝えられている。犠牲者の名前はロヤで、中国人職員を怒らせた行動につ
いては詳細不明である。
別の事件では、ランドルという名のチベット人が5月16日、セルタ郡ニイチュで中国の五星紅旗の代わりにチベット国旗を3旒(3枚)掲揚した容疑で逮捕された。
このチベット人はツェシュルの遊牧民の村出身で、中国の人々全体が大震災で
苦しんでいる時期に抗議活動を行ったという理由でその場で暴力的な激しい尋問を受けた、と伝えられている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)