チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月17日

子供たち、共同通信、チベット帰還行進、オリンピックトーチ、法王その他

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18c3e34a.jpg昨日、一昨日にお伝えした子供達へのインタビューは実のところ、
某国のX放送局が一緒に付きまとっておりました。
というか私はガイド兼通訳で雇われてたようでもありましたが、、
何しろカメラマンと私だけでしたので、知らない人が見れば私が作ってるみたいにも見えたかも?誰も見てないって、、、

どうもチベットのことを撮ってくださってありがとうございますです、が
これがいつどのような形ではたしてオンエアーされるかどうかはまだ解りません。
だから草々に勝手に発表してしまったというわけです。

もっとも私はインタビューの最中には話し相手をしてるか、通訳してるので、内容をノートできたのは名前と日付ぐらいです。
つまり記憶だけで書いたので、間違いもあるかも知れません。
詳しい翻訳が上がった時、もしもそれを見ることができるならもっと詳しい話をお伝えします。
X放送局はその他学校の様子、一時収容所で子供の絵の管理人となっているアマアデさんにもインタビューしています。
X放送局は5月初めにも、ラサで3・14日のデモに参加して、ここに逃れてきたソナムにも長いインタビューをしています。
でもまだ出ない!

やはり中国の壁は厚いのか?
でも実際撮ってくれた本人たちは「必ず出します」と言ってくれてます。
頑張ってくださいN放送。

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ついでにこちらは新聞社ですが、こちらに二度に渡り、のべ10日も取材して帰られた共同通信の記事の一つが今日出たはずです。
共同通信は昨日から6回シリーズで

北京五輪企画「五輪の風―世界が見る中国」
という力を入れた取材レポを発表しています。
その中、本日分はラッサン・ツェリン氏の話しでした。

中国チベット自治区などで三月に相次いだ暴動や抗議活動。「抑圧の停止」「自由の拡大」を求める動きは連鎖的に広がった。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世による「暴力犯罪」と決め付ける中国政府に対し、亡命チベット人のカリスマ指導者は「今こそ行動を起こす時だ」と独立要求を掲げ活動を再開。インドなどでの抗議行動を組織した若者たちにも大きな影響力を発揮している。
 監獄に響く拘束者の叫び声、軍人らによる激しい殴打、拷問で骨折した僧侶たち―。非政府組織(NGO)チベット人権民主化センターは中国当局による弾圧を生々しい体験談で伝えている。
 「中国政府は話し合いを必要としていない。(中国の枠組みの中で解決を図る)中道路線は全く非現実的だ」
 チベット亡命政府の拠点、インド北部ダラムサラ。中国政府が敵視する「チベット青年会議」の元議長ラッサン・ツェリン(55)は自営の小さい書店で怒っていた。
 一九七九年、最高実力者の/トウ/小平が「独立要求さえ取り下げればどんな話し合いもできる」と述べたのを機に、ダライ・ラマは自治権拡大を求める中道路線に転換した。だが、当時議長だったラッサンは独立要求を堅持。率直かつ情熱的な語り口で若いチベット人の心をつかみ、カリスマ的存在になった。
 「(中国の)チベット人は、チベット文化存続とダライ・ラマのために死を覚悟で立ち上がった。しかし、ダライ・ラマがそれを暴力と呼べば人々はどうしていいのか分からなくなってしまう」
 ラッサンは数年前、亡命政府が「中道路線は達成可能だ」という声明を発表したのを機に「障害になりたくない」として表舞台から遠ざかった。しかし三月以降、各国のチベット人を対象にした講演を積極的に受けるなど活動を再開。「世界の注目を集めるには北京五輪の今年しかない」。亡命僧侶らと共有する、切羽詰まった思いからだ。
 一方で実際の行動は慎重だ。チベット青年会議は「中国内のチベット人との直接的な接触の禁止」というラッサンの方針を貫く。「五輪後、中国による報復が行われる可能性が高い」と警戒、弾圧下にいる人々をさらなる危険にさらしてしまうことを避けるためだ。
 では、中国内との連携はどうやって築くのか。有効なのが「中国政府による非難」という。「中国政府がわれわれを非難すると、チベット人は真実がその逆にあることを直ちに理解する。中国のチベット人は何をすべきかが分かっており、われわれはそれを支えていく」。国境を超えたチベット人のきずなの深さに対する自信は強い。
 「チベット独立は、インドが中国国境警備などに投入している莫大(ばくだい)な軍事費削減を可能にする」。ラッサンはインド政界との接触にも乗り出し、活動を一段と強化している。(敬称略)(共同)

この記事を書かれた、共同のMさんはすでに子供の絵の話とかも記事にされています。
明日も彼女の取材されたチベットの記事が共同配信各社の新聞に載るはずです。
ダラムサラについては新聞では共同、テレビではX放送が一番詳しく取材してくれてます。

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次は、チベットへの<帰還行進>の話。
3月10日にここダラムサラを出発し、丁度100日目にあたる今日、とうとう国境警備隊に全員逮捕されました。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21654&article=50+marchers+arrested+close+to+Indo-Tibet+border+as+China+changes+Tibet+Olympic+torch+relay+routehttp://tibetanuprising.org/2008/06/17/press-release-marchers-arrested-in-border-area/#more-480
昨日のニュースでは
このチベットの行進組を地元のマハラジャが宮殿に招き、「59年以前にはこのチベットへのルートを使って多くのチベット人たちが塩を運び来たったものだった。チベットが一日も早く解放されることを願うよ」とか励まされ、なかなかいい雰囲気だったのでした。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21637&article=Marchers+to+reach+Tibet+border+area+tomorrowしかし今日朝9時半国境の検問を突破しようとした、チベット人50人に対し、200人の警官隊が動員され全員逮捕されました。

TYC代表のツェワン・リクジンは「100日間我々は今も中国の暴力的弾圧のもとで苦しみ続けるチベットの兄弟姉妹との連帯を示すために歩き続けた。チベット国民は今中国に囚われの身だ。中国は今また、我が国の神聖なる首都ラサにオリンピックトーチを持ってこようとしている。傷口に塩を塗るような行為だ。我々は今また新たに、チベットの完全独立を勝ち取る非暴力の闘争を継続する堅い決心をする」
と語りました。

これに先立ち彼を含め、5団体の代表は12日間拘置所に入れられてました。

このマーチについてはジャミヤン・ノルブが何時ものように興味深い記事を寄せています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21648&article=THE+LONG+MARCH+HOME+%e2%80%93+Jamyang+Norbu

ーーー

その他デモと言えば今日は朝からこのダラムサラでも久しぶりにしたの町までの長いデモを行いました。<3・10日から100日>と言うことで戦いの心新たにするためです。

ネパールは毎日デモして毎日大勢のチベット人が逮捕されています。
今も外国としては一番はげしいデモ場です。

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オリンピックトーチと言えば今日ウルムチにトーチが来ました。
これに先立ちウイグル人1000人ほどが逮捕されととか。
愛国教育もチベットと同じようにシルクロード全域で行われているようです。
http://phayul.com/news/article.aspx?article=China+clampdown+for+Olympic+torch+in+Xinjiang%3a+residents%2c+exiles&id=21626
今日も民衆はトーチを見に来ることは禁止され、家でテレビをみてろ!窓から顔を出してもいけない!と言われたそうです。これBBCです。
もちろん念いりに選ばれた応援団だけは中国の国旗振り回していますがね。

ラサにトーチが来る日については中国は変更を繰り返し、今も予定は未定のままです。
しかしおそらく今度の土曜日に来るだろうと予測されています。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21653&article=Lhasa+Torch+Relay+Tarnishes+Olympic+Movement

最後に法王が台湾メディアのインタビューに応える形で中国人に対するメッセージを伝えている記事を紹介だけ。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21640&article=INTERVIEW%3a+People+of+Taiwan+still+in+thoughts+of+the+Dalai+Lama法王はオーストラリアでは中国人ジャーナリストグループや、民主化を求める中国人グループ、一般の中国人グループと積極的に話し合ったりされました。
今はヨルダンに飛ばれて<ノーベル平和賞受賞者会議>に参加されています。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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