チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月15日

続ヒマラヤ死の逃避行

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dcc3fced.JPG添付の絵は銃殺を目撃したガンツォが画いたナンパラ(ナンパは「仏教徒」ラはチベット語で「峠」)への道。絵の説明は最後の方です。

ナンパラは標高5710m!。
もちろん夏でも一面雪と氷の世界です。
多くの亡命者はここを冬に越えてきます。

冬は、時として行手の大きな障害となる川が氷り渡り易くなること、
峠の警備が薄いこと、
越えたあと法王の新年好例の長い法会に加わることができること、
春から始まる新学期にちょうど良く間に合うこと、
等の理由によるのです。
もっとも冬に5710mの峠を越えることは、いくらチベット人でも大変な危険を伴うことです。
実際多くの死体が峠で凍ったまま野ざらしとなっているそうです。
私も写真だけは見たことがあります。
また、子供たちは十分手足の防寒に気を付けることができず、手足の指先から凍傷になり、酷い場合は切断ということももちろんあります。

彼女達の峠越えは9月初めであったが、雪が胸までの高さまで積っていたという。

以下はガンツォの証言による。

グループの総勢は亡命者74人にガイド2人。
そのうち10歳ぐらいまでの本当の子供が15人ぐらいいた。
ラサからの車を離れ山に入り12日目、やっと峠の前までたどり着いた。
峠を越える前の日、手前で雪の上に、何時ものように、皆寄り添い何も下に敷くものもなく、上に懸けるものもなくしばし眠りに付いた。
しかしその夜は夜半より行進を始めて一気に朝には峠を越えるという計画だった。
それはガイドが峠には中国の兵隊がいるらしいので、闇にまぎれて突破しようと言ったからだった。

夜半に出発したが、実はこのときこの大きなグループのうち33人は寝過してしまい、ガイドを伴った先発隊とはぐれてしまったのだ。
遅れたグループはそれでも峠と思える方向に向かって登って行ったが、道は定かでなく、迷い続けた。
結局このグループの33人は全員その後中国兵に逮捕されることになった。

その中の一人ジャミヤン・サムテンは撃たれた尼僧の遺体確認やら、シガツェの拘置所に2か月入れられ、拷問を受けたりの経験をすることとなった。解放後再び亡命を試み成功した。
彼の詳しい話は後ほど。

14/6/08 tcv suja 峠を越えた6人
先行隊は夜中峠を目指して登り続けた。
しかし峠が近づくころにはもう夜はすっかり明けていた。

ここでガンツォの絵を見て頂きたい。
まず彼らは外国人登山隊(彼らが貴重な映像を撮って世界に流した人たちだ)のテントを見つけ、そこに寄ってビスケットとかお茶を貰ったという。
彼らはもう二日前から食糧も尽きはて、ただ氷を食べながら進んでいたという。

そこから少し行ったところで、上の方から外人の登山者たちが降りて来て
この先には中国兵がいるぞ!危ないから行かない方がいいぞ!」
と教えてくれた。
しかしみんなそのまま先に進んだ、しばらくすると上のほうに中国兵が現れこちらに向かって「ここまで登って来い!来ないと撃つぞ!」と叫んだ。

みんなその時は極限状態だった。
この二日間何も食べておらず、高地の登りは胸を裂き何も考えられなかった。
ただそのまま一歩一歩前に進んだ。
多くのもの者たちはその時逃げるために身軽になろうと背負っていたリュックや上着を脱ぎ棄てた。自分のそうした。

そのうちグループの誰かが
撃つなら打て!もう何時死んでもいいんだ!もう何も怖くない。撃つなら打て!」と言った。
グループの先頭には尼僧たちが数人いた。
自分たちは数人でその後ろ5,60mのところを歩いていた。

突然バンバンという銃声が聞こえたと同時に頭の上をヒューヒューと銃弾が走る音が聞こえた。
前を歩いていた尼僧のグループのうちの一人に弾が当ったらしく、「キャー!」という叫び声が聞こえた。
私は全身鳥肌が立ち、怖くて身体が震えた

他の尼僧が倒れた尼僧を抱えたが、しばらくして死んだと思ったのか、皆そのまま歩きはじめた。

中国兵は下に降りて来ているようだった。
また後ろから来ていた男の子が足を撃たれ、倒れた。

自分たち3人は近くの山影に隠れ、急いでそこの雪に穴を掘って身を隠した。
朝9時ごろから昼の2時ごろまで5時間はそこにじっとしていた。
死ぬほど寒かった。

もう大丈夫であろうと思い外に出た。
そのまま尼僧たちの歩いた道を行った。
死んだ尼僧の顔は真白だった。
目も白くなってた。
胸から出血していた。

それからじょじょに下って行った。
でも道が良く判らず大変だった。
みんな目が雪でやられほとんどよく前が見えなかった。
また雪の上で寝た。

以上

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

絵の説明:
ナンパラ手前の状況。
右端のナンパラに向かって左手から登って来た。
テントはもちろん外国登山隊のもの。
テント右手で上の方からリュックを背負って降りてくる5人が途中であった登山家たち。
右手先頭居るのが尼僧グループ。このうち二番目の尼僧に最初の銃弾が当った赤い色は血の色。
彼女はその後ろの二番手。上の方に一人少し離れている。
さらに後ろに緑色に塗られているのが銃を撃つ中国兵3人。
実際ははじめもっと上から撃ってきたという。
最初の中国兵のすぐ後ろの子供の足から赤い血が出ている(見え難い)。
足を撃たれたのだ。

私が一つ質問した。
「自分はこの時の映像を見たんだが、ひとつ疑問に思ったことがあるよ。
何でみんな撃たれて倒れた人がいるのに、ほとんどそのまま歩き続けて行ったのか?
普通なら、銃声を聞いたと同時に体を伏せるなり、逃げようとバラバラに急いで散ったり、倒れた者を助けようとしたりするんじゃないかな?」

「道はヤクや人が踏み固めた一本の細い条のようで、周りは胸までの雪が積ってる。
横に逃げることは簡単にできない。それにもうみんなその時は疲れ切ってた、夜中から休むことなく歩き続け、食べてない。登れば登るほどに息は苦しくなる。
普通に考えることができなくなってた。一度止まるともう先に歩けなくなるような気がしていた。きっとそんなだったからだと思うよ」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

彼女はその時16歳。
大変な経験をすることとなった。
それでも彼女は中国兵に捕まらず5710mの囚われの国境を銃弾にも当たらず超えることができた。
運が良かったのだ。
捕まったこどもたちには更なる試練が待っていた。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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