チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年6月15日
ヒマラヤ死の逃避行
前回紹介したラサから来た女の子のいる、学校には他にも大事な証人が沢山いた。
皆さんの中にはヒマラヤを越えるチベット人の一団に中国兵が発砲し、チベット人が倒れるというシーンを捕らえた貴重な登山隊の撮影フィルムをご覧になった方のおられることでしょう。
そのグループにいた6人の子供たちに会ってその時の話しを聞いた。
子供と言ってもこの子たちはその時16,7歳現在18,9歳の子供たち?ばかりだった。
その他もちろんもっと小さな子供もグループのなかにはいたが、取りあえずこの学校に居る子は6人だった。
彼らは全員もういろんなとこに出ているので、本名を出しても良いとのことでした。
前回のガワンと違ってもうこちらにきて2年経ったからであろう、何でも話すよと言った風だった。
彼らは2006年の9月初めにチョウオユウの左肩にあたるナンパラ(ナンパ峠)を越えようとした74人の中にいた。
6人の氏名は:
1)ドルマ・ペキ 18歳 女 カム・チャムド出身
2)ソナム・チュンジェ 18歳 女 カム・チャムド出身
3)ジャミヤン・サムテン 19歳 男 カム・チャムド出身
4)テュラム・ロテュ 19歳 男 カム・チャムド出身
5)ガンツォ 18歳 女 カムチャムド出身
6)ダドゥン 18歳 女 ラサ近郊 ロカ出身
最初はみんな一緒になって話しを聞いていたのだが、状況が判った後には、
実際に目の前で尼僧が撃たれるのを目撃したガンツォともう一人逮捕されシガツェの拘置所に二か月間拘留され、拷問を経験したジャミヤン・サムテンに特に話を詳しく聞くことにした。
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ここで急用あり、いったん中断します。
失礼!。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)