チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年6月14日
「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達
以下はロイターが伝える、現在のアムド、アバのラプランとかツォェの様子です。
記者が入って実際に人々から話を聞いたようです。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21616&article=Tibetan+monks+forced+to+take+%22patriotic+tests%22
Tibetan monks forced to take “patriotic tests”
「愛国テスト」を強制されるチベット人僧侶達
Reuters[Friday, June 13, 2008 12:55]By Lucy Hornby
ロイター通信 ルーシー・ホーンビー
翻訳Y女史
【甘南チベット族自治州】 中国域内に広がるチベット人街や僧院でデモが頻発するようになってから3ヶ月。僧侶達は僧侶であり続ける許可を得るために、おそ
らく9月には「愛国テスト」を受けなければならない、という。甘粛省の南に広が
る甘南自治州ではチベット系住民の割合が高く、3月14日のラサでの騒乱の後も緊
張が高まっている。武装警察隊が主要な僧院へのアクセスを監視する傍らで、僧
侶達は罰金の支払いや「愛国教育」の教材をマスターするよう強制されて苦闘し
ている。
僧院では当局の作業チームが、騒乱の首謀者と名指しているダライ・ラマへの忠
誠を破るための愛国教育を監督するため、駐留している。僧侶達によると、この
作業チームは8月の北京オリンピックが終わるまで僧院に留まると見られている。
愛国教育用の教科書は中国語とチベット語で書かれており、自治州の法律を含む
中国法や、チベットの独立とダライ・ラマを非難する章などから成る。「信じら
れない。どうして私達がこんなことをしなければならないのか?」と、あるチベ
ット人農夫は言う。「世界中が賞賛しているというのに、なぜ中国はダライ・ラ
マ法王様を非難するのか?」
『プロパガンダ教材』と題した別の教科書には、「暴動中にわが自治州で何が起
きたか」「チベットが中国の一部になった歴史」といった章から構成されている
。
ダライ・ラマ法王は1959年、中国支配下からの蜂起が失敗に終わった後、インド
へ亡命した。その間、甘南自治州の僧院からは貴重品が略奪され、僧侶達は排除
された。毛沢東の推進した大躍進政策の下、極端な工業化により人々は飢えに苦
しんだ、と地元民は言う。
「いまや中国は、私達をテロリスト呼ばわりし、あるいは『チベット分離主義者
』と呼んで、私達が国を愛さなければならない、と言い張る」と、ある若い僧侶
は述べて、そのフレーズを中国語で繰り返した。質問されたら何と答えるのか、
と尋ねられて、背の高い若い僧侶はため息をつきながら両手に顔をうずめた。
「彼らはテストを受けるしかない。これこそ『不・自由』そのものでしょう」と
、一般のチベット人は言う。「私達チベット人には、何も言う権利がないのです
」
“DON’T GET INVOLVED WITH POLITICS”
<政治に関わるな>
甘南自治州では3月に2000人以上の人々が逮捕拘束されていたが、一ヶ月以内に釈
放されたのは200~300名だけだった。地元警察車両や政府のゲストハウスに火をつけたことにより「殺意あり」と見做され、いまだに拘束され続けている。
僧院に続く道では、武装警察が運転手を漢人かどうか確認し、車両を確認した後
に、ようやく通行が許可される。
甘南自治州の州府所在地であるツォェ(中国名・合作市)では、カモフラージ
ュした人民解放警察が僧院への入り口を閉鎖している。9階建て(実際は13階建)のミラレパの塔で知られる僧院に至る道では、普段なら僧侶達や巡礼者でにぎわう往来が途絶えている。
中国憲法では宗教の自由も定められているにも関わらず、仏教やそのほかの宗教
は政府の組織によって管理されている。愛国テストがどれほど広い範囲で実施さ
れるか、まだ明らかにされていない。「国から派遣されてきた作業チームは、僧
侶達は経典を読むだけで政治に関わっていはいけない、と私達に命令する」
ディエブ郡の外れにある小さな僧院の年老いた僧侶は語る。
甘粛省南の山間の町ゾニ近郊のある僧院では、僧侶達はジャーナリストに話す
前に、赤い僧服を着た少年達を遠くへ追いやった。11歳のその少年達は蜂起との
関わりを疑われて3日間拘束されたという。彼らの親戚は、少年達の釈放にあたっ
て一人あたり3000元ずつ罰金を支払わなければならなかった。
家族達もまた、10日~2ヶ月間の拘束の後に僧侶達を釈放してもらうため、5000元
(725ドル)以上の罰金を徴収された。この金額は甘南自治州での平均年収を超え
ている。甘南自治州ではチベット人達の多くは街に住んでいるが、高原の遊牧民
もまだ残っている。
「恐ろしかった」と、地元警察に10日間拘留された一人の僧侶は、強い中国語訛
りで語った。「家族が支払えない時は他人から借金するのだ。私の家族はヤク(
チベット人の貴重な家畜)を売り払わなければならなかった」
(Editing by Nick Macfie and David Fogarty)
(ニック・マクフィー、デビッド・フォガティ 編集)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)