チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年6月12日
カンゼの続き、地震情報 その他
写真は再び開始された<チベット帰還行進>の面々。雪山をバックに記念写真。
今回は国境の近くから始めたようです。
昨日6月11日お伝えしたカンゼで3人のチベット人がデモの末逮捕された事件の後日談として
今日の委員会リリースが伝えるところによると、
http://www.stoptibetcrisis.net/pr120608.html
本日、逮捕された3人のうちの一人、主婦のナムセ・ラモの自宅を当局は、家宅捜査した。見つかったダライラマ法王の写真をその場で破り捨て、踏みつけた。
その場にいたラモの兄ペマ・ゲルツェンはその光景に我慢できず、刀を取り出した。
それを見た当局側は逃げた。
しばらくして、約200人の中国の武装部隊が彼を逮捕するために家に押し寄せた。
しかし、彼はすでに山に逃走した後だった。
それを知った部隊は、その後彼らの家を徹底的に破壊した、
という。
まるで
その他カンゼ、ダゴの尼僧たちの現状も心配なのですが、この方の情報はまだ入っていないようです。
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地震関係です。
今日RFAを聞いてると、ギャロンのタシリン(理県リーシェン)から電話が入っていました。
タシリンについては早い段階でそこの僧院が破壊されたことだけはお伝えしましたがその後特別の情報は入っていませんでした。
タシリン(理県)は今回の地震の震源地と目されているルング、文(さんずい+)川のすぐ西に位置し、距離30キロほどのところにあるチベット人中心の町です。
今話題となっている堰止湖のすぐ近くと思われますが、これは今確かな地図が手元にないので確かめられません。
元々の人口も判明しません。
電話によると、タシリン僧院が地震と共に崩れ落ちた、「ゴンパが崩れてしまった!」とチベット人たちが嘆く間もなく、他の家々も崩れ落ち始めた。
回りの山々も崩れ始め大きな岩が沢山転がり落ちてきた。
至るところから土煙りが上がり、
あたりはすぐに埃で覆われ、空の太陽も隠れるぐらいに空一面土煙りで覆われた。
死亡した人の数は100人ぐらいだろう。
僧院もなく遺族はみんなそれぞれの仕方で自分たちで亡者を供養した。
ほとんどの人は今もテントに暮らしている。
時々中国の兵隊が通るが、彼らは堰止湖のために働いているようで、
自分達の面倒を見る余裕はないという風だ。
濁った水しか手に入らずそれが問題だとも話していました。
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ちょっとだけですが、震源地近くのチベットの町からの貴重な生の言葉でした。
中国は平地の中国人には手厚く援助をしているようですが、チベット人は地震から一か月たった今もテント暮らしのようです。
食糧は一体どうなっているのでしょうか?
他に地震と核施設の話を日本の記者が書いてます。
まだご覧になっていない方は是非お読み下さい。
地震のすぐ後でRFAの中でその地方のチベット人が「あの辺の山の至とこに中国は大きな穴を開け続けてきた。きっとそれに山が怒ったのだろう」
と言ってたのを思い出します。
<ベールに覆われた核施設を見た! 四川大地震>
6月11日22時24分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080611-00000979-san-int
次は死体も一緒に流れてしまうであろう、濁流の話。
<廃虚の町のみ込む濁流 土砂ダム排水、沈む民家>
【曲山鎮(中国四川省)10日共同】
http://www.47news.jp/CN/200806/CN2008061001000744.html
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法王は昨日オーストラリアのシドニーに到着された。
今回は仏教の教えを中心の5日間の滞在となりそうだ。
「カマラシーラのゴムリム中編(修習次第)」を5日間講義され、
最後の日15日には観音菩薩の潅頂を授けられるという。
仏教中心と言えど、早くも記者インタビューの記事は入っている。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21608&article=Dalai+Lama+calls+for+a+peaceful+torch+relay+in+Tibet%3b+Hopes+talks+with+China+will+resume+next+month
「中国の文化と宗教に対する弾圧によりチベット人の心は非常に傷つけられている。
世代は変われどこの怒りは残るであろう。父からその子供に、そのまた子供へと引き継がれて行くことであろう」
とおっしゃった。
最後に、
一旦逮捕により中止を余儀なくされていた<チベット帰還行進>は早くも再び再開された。
50人が国境に向け歩きはじめたという
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)