チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月7日

日本人が中国当局に拘束されたらどうなるか?

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59519fac.tif<チベット>日本人旅行客の「独立応援グッズ」を没収―新疆ウイグル自治区6月5日1時51分配信 Record China

の記事を知らせてくれたTくんの言葉。

「ニュースでデビューしました。
T・Iというのが彼です。
ちなみにチベットグッズが僕が渡したものと
思われます」
と至って誇らしげばようす。
実話かれは丁度今日早朝ラダック方面に旅立ちました。
それで以下のニュースに登場する彼の友人からの別情報はとれませんでした。

しかし、じつわ私自身もこのパキ中国ボーダーのすぐ近くで嘗て中国当局に拘束されたことがあるのです。
その時の話を後の方に書きます。

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6月4日、パキスタンとの国境にある中国側の入国検査で今月初め、日本人旅行客2人の荷物から相次いでチベット独立をうたった品が発見された。当局はこれらを没収、2人を指導した後釈放。

2008年6月4日、「中国新聞網」はパキスタンとの国境に接する新疆ウイグル自治区ホンジュラブ(紅其拉甫)の入国検査で今月初め、日本人旅行客2人の荷物から相次いでチベット独立を宣伝する品が見つかったと報じた。

このうちの1人、T・I(男性、記事原文では実名表記)が所持していたのは「SAVE TIBET(チベットを救え)」と書いたバッジで、チベット独立支持派の典型的な宣伝グッズ。3か月前にインドを旅行中、知り合った日本人男性から渡されたという。もう1人の男性S・K(同じく原文では実名表記)は、ネパール滞在中に現地人からもらったポスターを所持しており、中国政府を批判する内容の英文が書かれてあった。

2人の供述から、これらの持ち込みは意図的なものではなく不注意によるものであったと判明。当局は該当品を没収したうえで、このような行為はダライ・ラマグループによる中国分裂活動に加担することになると2人を指導。彼らは過ちを認め、今後注意すると誓ったとのこと。(翻訳・編集/本郷)

———————————————————–

1985年にチベットを目指して香港に入った。
成都まで電車で行き、そこでまずそのころチベットに入るには必要だったラサ近郊の入域許可証を取ろうとトライしたが、だめ。
北に上がり西安でも蘭州でもだめでした。
そのころカシュガルまで行ってカイラス山経由でラサに行ったものがいるとの情報を得、それではとシルクロードをひた走り、ウルムチからカシュガルまで5日間のバスにも耐えやっとまずはカシュガルまでたどり着いた。
そこからカイラス(カンリンポチェ)までの道は途中5000mのアクサイチン高原大きく横たわる難路だった。
それよりもこの道はそのころ外人には解放されていなかった。先に核爆弾実験場があるので見られたくなかったのであろう。
とにかくトラックステーションに通い1っ週間目にやっと一台のトラックを見つけた。
運ちゃんはチベット人だった。
しかし何と同行が二人いたそれも外人。
まずいな、、と思った。見つかる可能性がぐっと増すからだ。
二人にはとにかくウイグル人に変装するように頼んだ。
私は上下人民服、頭には人民帽をかぶりまったく当時の中国の全員と同じ格好だった。みんなバッグは頭陀袋にいれ担いだ。

出発したもののそのトラックはオンボロで、一日に10回は修理のために止まるのだった。途中二日目の昼食を一般の食堂で食べた以外はトラックステーションを一歩も出なかった。出発して二日目の夜トラックステーションに着きしばらくしてトイレに行こうと外に出たところ、部屋の前に公安のジープが二台止まっており、早速。尋問を受けその場でパスポートを取り上げられ、拘束され別のホテルのような場所に連れて行かれた。
そこで徹底的に荷物を調べられた。日記等の書きものは特に入念に眺めていた。

それにしても、我々が外人とどうして判ったのか?はて一度だけ入った食堂の誰かが通報したとしか考えられなかった。
中国の密告?制度の有効さには驚いた。

そこに一泊したのち、バスで隣に公安職員に見張られながらカシュガルまで引き返された。
そして次に待っていたのが、カシュガル公安本部の狭い狭い尋問室。
その部屋にはいっしょに捕まったもう一人のアメリカ人が同室していた。
係官は二人を睨みつけて部屋に入ってくると、すぐにどなり始めた、座って今度は机をたたいて見せたりする、脅してる積りのようだった。
もっとも英語が全く判らない中国語オンリーのあんちゃんだった。
その内私が中国語は判んないから、中国語は少し書けるので筆談にしようと言った。
突然静かになり彼と二人で紙をあっちこっち向けながら筆談に入った。

とそれを見ていたアメリカ人が大笑いを始めた。
「急に静かになって二人で一生懸命何か書いてる、、ほんとにおかしいぜ、、ハハハ」と言った。その笑い声を聞いてもちろんあんちゃんはまた何かどなった。

要するに、お前らは行ってはいけないところに入ったことで、中国の法律を犯した。
刑罰は今日のお前らの態度と始末書の内容による。
明日みんなで審議会を開き決定する、というものだった。
その場で始末書(かくかくしかじかの悪事を私が実行したことを認めます。二度とやりませんので勘大なご処置をお願いします」と書かされる。
書かなければ書くまで拘束される。

私の場合は単なる軽い罪(認めないが)であるが、これがもし私がチベット人で、法王を否定せよを迫られたばあいにはどうなるか?
解らない。

3人のうちの一人は二度目の逮捕とかで彼は国外退去になるかも知れない?法外な罰金を払わされるかもしれないと、心配しきりだった。

結局私ともう一人の初犯は罰金$150、もう一人の二度目の彼は$300払わされた。その当時としては痛い額だ。

何よりもお陰でカンリンポチェには行けず、そののちラサまで6000キロの陸路迂回を強いられた。

その時の取調官の怒った顔は今でも思い出す。
チベット人の味わう恐怖に比べれば何でもないが、恐怖政治の一端は味わわせて貰った。

さてラサで日本人が<Free Tibet>をやるとどうなるでしょうね?

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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