チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月3日

チベット知識人ジャミヤンのビルマ論

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9c511633.JPGここであえてチベット知識人と呼ばせてもらったジャミヤン・ノルブ氏は現在アメリカ在住。
作家、劇作家、活動家であり、今もブログを通じて多くの若者層にカリスマ的人気を維持し続けている。

今回の3月10日以降の一連のチベット人蜂起を<Revolution>と呼び、この運動を一気に盛り上げるべきだと主張する。

以下彼の5月18日付のブログより、
http://www.jamyangnorbu.com/blog/2008/05/18/thinking-of-burma/(イギリスにいらっしゃるF女史が翻訳してくださいました)

<ビルマを考える Jamyang Norbu’s blog>

ジョージ・オーウェルが書いた記事の中で、「病人の独在論」(例:欝や病気になってしまった人が自分の病状以外のことを考えられなくなってしまった状態)という文章にでくわした。これは、思うに、全く自然なことである。例えば、普段よくある歯痛であっても、時にはルワンダやダルフール(スーダン)の虐殺のことから、ふと思いが離れてしまう。

我々も、チベット人独自の生死の苦悩、そして、中国の過酷なチベットに対する弾圧に、常に気をとられている毎日であるが、ここは、しばしそのことから頭を離し、現在ビルマで起こっている大規模かつ絶望的な悲劇について考ることにしよう。つい最近見たときは、公に発表された死亡者数は78,000人であった。また、サイクロンには直に打撃されなかったとしても、そのほかの理由から、その数を上回る死亡者がでている。チベット人の中にもすでにお金を寄付している人もいるし、ダラムサラの寺で、祈りや、蝋燭を捧げている人もいる。また、ダライラマ法王は、50,000ドルの寄付をした。

ビルマに支援をしたい人の中には、軍事政権が、腐った穀物を配給したり、自分ら兵隊のために支援物資を確保しようとしたり、物資をあたかも自分たちからの個人的な手柄、プレゼントのように配っているという報告を聞き、落胆する人もいるかもしれない。私もつい先程、Burmese American Democratic Alliance (BADA)と一緒に活動している、信頼をおく友人からメールを受け取ったところである。メールには「もし、ビルマの何万人というサイクロン犠牲者に寄付をしたいとおもっているなら、BADA をぜひ通してしてください。BADAを通すと、大きい支援機関より、効率的で、軍事政権の網を潜り抜けて、お金を本当に必要としている人に非公式なルートで手渡すことができるからです。BADAの社長を私も知っていますが、100%信頼のおける人です。ウェブサイトは: www.badasf.orgです。」とあった。

また、われわれは、現在世界で最も勇敢に、そして、献身的に自由と民主主義の戦いを続けているアウン・サン・スーチーにも思いを馳せなければならない。チベット人も、特に独立のために戦い中国の刑務所にいる者などは、彼女と真の革命家としてのつながりを感じるであろう。実は、彼女が、今も囚人としての生活を続けている理由は、悪質なビルマの軍事政権だけではない。それには、北京が釈放したがらないとの理由もあるのだ。

2000年、世界規模の消費者のボイコット運動と、株主の圧力から、ARCO、 Eddie Bauer、Liz Claiborne、 Macy’s, Reebok、 Petro Canada などの企業がビルマから撤退した。2001年の1月、ビルマの軍事政権は、ついにアウン・サン・スー・チーとの交渉に応じることになった。その後、国連との数々の秘密交渉の結果、2002年5月6日、軍事政権は、彼女を釈放した。政権のスポークスマンは「我々は互いに信頼できるという自信がある」といい、彼女は自由の身だといった。アウン・サン・スー・チーは、この日を「ビルマの新しい夜明け」と宣言した。

しかしながら、2003年5月30日、北部の村、デパインで、政府支援の暴徒が、彼女とサポーターを襲撃し、サポーターから死者、負傷者が出た。アウン・サン・スー・チーは、運転手によって助け出されたが、後に逮捕された。政府は彼女を、ヤンゴンのインセイン刑務所に投獄した。

その後、何が起こったのか?中国は、西欧からの経済制裁と圧力により、ビルマ政府はスー・チーを釈放し、もしかすると、それが、民主主義を導入につながっていくかもしれないと気づいた。そこで、北京は、莫大な投資、貿易、武器の供給に乗り出し、西欧からの制裁が無効果になるようにしてしまった。中国はその後、国連安保理にて、軍事政権に対するすべての話し合い、行動を効率的にブロックし、アウン・サン・スー・チーをはじめとする他の政治犯の釈放にも拒否権を使って反対してきた。また、そのほかにも、特に、軍事政権の僧侶に対する殺人的弾圧、民主主義活動家による反軍事政権デモなどに関しての国際の場での討論や決定も排除してきた。

たとえビルマの民主主義化が部分的なものであったとしても、中国にとっては、ビルマのオイル、ガスなどの豊富な資源入手の邪魔をする脅威なのである。それだけでなく、アジア・太平洋域で中国軍の戦力を突出させる「真珠の数珠」政策に必要な、中国海軍のインド海アクセスをも危険にさらすのである。また中国の政策立案家の中には、ビルマの大衆・民主主義運動が、チベット、東トルキスタン、北朝鮮にも波紋の影響を与え、中国帝国と中国の経済植民地になってきているアジアの国の独裁者を脅かすと懸念する者もいる。

したがって、アウン・サン・スー・チーは、北京の独裁の囚人であり、犠牲者でもあるのだ。そして、チベット中で監禁されている何千人ものチベット人の一人と同じ身なのである。

AMI (Amnye Machen Institute)は、1997年に、アウン・サン・スー・チーの「恐怖からの自由」のチベット語訳を出版した。AMIの所長であるタシ・ツェリング・ラ(Tashi Tsering la)が、序文を書いている。彼は、スー・チーと、その夫で、ブータン・チベット分野で著名な学者であるマイケル・エイリスの知り合いであった。タシ・ラが言うには、1972年に彼女がオックスフォードで挙式したとき、僧侶がほら貝を吹くというビルマの慣習を見たいと思った。これは、仏教徒にとっては、縁起がよく、不幸を追い払ってしまうと信じられているしきたりである。しかし、それを行えるビルマの僧侶が1人もいなかったので、西欧の、チベットの高僧、チムリンポシェ(Chime Rimpoche)がその役目を果たした。

マイケル・エイリスが、1997年に前立腺癌と診断されたとき、ビルマ政府は、彼のビルマへの入国ビザを拒否した。政府は、スー・チーに、ビルマを出国することを許したが、彼女は、もし、出国したら二度と入国を許されないであろうことを知っていた。マイケルは1999年に亡くなった。彼は、アムニェ・マチェン(Amnye Machen)のよき友人であり、支援者だった。我々は、追悼として、AMIのウェブジャーナル「HIGH ASIA」に彼の学論を掲載した。アウン・サン・スー・チーには、2人の息子がおり、彼らが母親の代わりにノーベル平和賞を受け取った。彼女は、長い間イギリスに住んでいる子供たちと離れ離れになったままである

これは、人間の自由という、高尚な理由であったとしても、一人の人間が耐えるのには、あまりにも過度ではないか。私は、彼女の行動は、ビルマの人たちに喜びよりは、苦悩をもたらしているのではないかと書いた記事にもいくつか出くわした。彼女は国を出たほうがいいとも書いてあった。そして、自由貿易が、自然な形でいつかビルマに民主主義や自由をもたらすのではないかと書かれていた。これは、チベットもよく受ける、もっともらしく「気遣った」理論である。

しかしながら、スー・チーは、それらすべての影響をまったく受けず、不動である:殺害の脅迫、終身投獄の可能性、私生活での苦悶、彼女の知能、人道性、ノーベル平和賞受賞者としての名声に対しての、誉めそやしながらも偽でかためられたアピールなどの影響を受けず、諍いなく友好な方法(ビルマ外)を探し、ビルマの民主主義を目指して戦っている。しかし、何年もの間、何も進展が見られなくても、彼女の意志は全く廃れていないように見える。彼女の決意は、チベットで言われる、「地に巨石のように根付いている(drak tsugpa nangshing)」ということであろう 。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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