チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年6月2日

チベット ウイグル 外モンゴル

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昨日は中国がいかに世界中に悪政を蔓延らせているかについて少し書いたが、
もちろん国内においてはチベットのみならず、ウイグル、内モンゴルにおいても同様の弾圧が続いている。

大きな違いは悲しいかなウイグル人やモンゴル人にはチベットのダライラマ法王という強力な統率者、代弁者がいないことだ。
そのためチベットに増してその弾圧の実態は隠され続けている。

所謂新疆ウイグル自治区の総面積は現在の中国の六分の一(歴史的チベットはちなみに中国の四分の一)にあたる。総人口は1963万人で内ウイグル族45%、漢民族41%、その他14%がカザフ族等の少数民族だ。
1949年に中国人民解放軍が侵攻してくる前には漢民族はたったの2%だった。

ウイグル人は約1000万人ということだ。チベットでチベット人は文化大革命の終わりまでに人口の5分の1にあたる120万人の虐殺に会ったわけだが、この率をウイグルにそのまま当てはめれば200万人が毛沢東により虐殺された計算になる。
勝手な計算だが、、実際おかしくない数字に見えないだろうか?。

彼らだって戦っている皆が独立を掲げているわけではないが、東トルキスタン独立運動という組織もある。

アムネスティーの招待で来日したウイグルの人権活動家、ラビア・カーディルさんの去年11月21日大阪で行われた講演録が以下に載っている。
http://www.news.janjan.jp/world/0712/0712227716/1.php

その中:
「しかし、ソ連が崩壊したときに西トルキスタンの諸民族が次々に独立したこと対して中国は危機感を抱き、むしろ体制を厳しくしたのです。1997年、グルジャという町で、1万人を越す人が自由や平等を求めてデモをしました。手に武器を持った人はおらず、平和的なデモでした。しかし、中国は軍隊で鎮圧しました。その場で407人の人が殺され、逮捕者は6万人を越えました。デモに参加した人の家族や友人まで逮捕したからです。しばらく経ってから、トラックで引き回したうえでの公開処刑がおこなわれました。当時、私や欧米の記者たちも現地調査に行きましたが、捕まってしまい、結局、国際社会は何もしてくれることはできませんでした。

このグルジャ(イーニン)の弾圧については
http://www.uygur.org/japan/et/2006/02_05.htmの中で:
「東トルキスタン文化協力協会アンカラ支部長のハイルッラ・エフェンディグリ(Hayrullah Egendigil)が中国大使館の前で、中国侵略者が東トルキスタンで行なっている国家テロ政策を批判する講演を行なった。グルジャ事件の後中国侵略者はイリ、タルバガタイ、アルタイ地区で計6万1千人のウイグル人を逮捕し、1500回も裁判会を開き、8000人以上を死刑に、他の5万人以上を無期懲役にしたのだ。」
という。

これに比べれば今回のラサ弾圧は中国にとってはまだまだ甘いやり方の内なのかと思ってしまう。

一方、外モンゴルは大戦前の日本とソビエトが決めた国境線が下で内モンゴルから離されることになった。
人口は2400万そのうちモンゴル人は現在たったの17%とか。漢民族が79%も移住してきた。

その後1947年以後毛沢東の統治下で彼らの受けた悲劇はチベットと変わりない。文化大革命中にはほとんどの僧院は破壊され、チベット仏教は一旦徹底的に破壊された。その当時有りもしない「モンゴル独立運動」に反対するとして大量虐殺が行われた。

現在「内モンゴル人民党」という独立を目指すグループがアメリカのニュージャージーに本部を構えているという。

この3地域を合わせると今の中国のおよそ半分になる。
中国はこれらの地域からの資源供給なしにはもうやって行けない。
取ったものはとことん利用する。
これもかつての日本等の植民地政策と変わらないのだが、ただ大きく違うのは漢民族は人口を増やしすぎており、これらの地域を移民のはけ口とし、多量の中国人が移住してくるということだ。
これを侵略の「最終的解決」と中国は呼ぶ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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