チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月28日

アンサンスーチンさん、TYC、放射能漏れ

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0a5ed8ff.JPGビルマ(ミャンマーと呼ばない)のアンサンスーチンさんの自宅監禁がさらに一年延長されたという。

もしもこの大惨事のときに彼女が国のトップであったら、どれほどの人が、少なくとも数万人の人びとが死ななくても済んだはずだと確信する。
彼女もそのことは良く解っていることだろう。
かつての笑顔の映像を見るにつけ、今の彼女の心中を思うと哀れで仕方ない。

今年の冬ビルマに行った時、すぐにサンサンスーチンさんに会いに行こう!
と単純に考え、まずは止まったタクシーの運ちゃんに「アンサンスーチンさん知ってるよね?彼女の家まで行っとくれ」と軽く言った。
とたんに彼の顔がこわばり「No Possible!」と言って去って行かれた。
その後情報を集めるに解ったことは、地図所に彼女の自宅はプロットできるが、その周辺1キロ以内には軍隊の検問が厳しくまず近ずけないということだった。
塀越しにでも一目お姿を拝見したいと思っていたのに残念なことでありました。

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朝TYCチベット青年会議のことを少し書いたので、ついでに思い出したのは
ちょっと古い記事ですが。

チョモランマ聖火登山隊に亡命チベット人組織潜入?2人逮捕
 【北京=竹内誠一郎】世界最高峰チョモランマ(英名エベレスト、8848メ
ートル)登頂に成功した北京五輪の聖火登山隊のチベット族シェルパ2人が、亡
命チベット人団体「チベット青年会議」のメンバーとみなされ、中国当局に逮捕されていたことが23日、登山隊関係者の話で分かった。

 関係者によると、逮捕された2人は中国籍。登頂の約1か月前、インドから中
国に戻り、シェルパの仕事に就いていた。今月1日までに身元が発覚、逮捕され
たという。具体的な妨害の計画があったかは不明だ。

 今月3日には、チョモランマ山頂から直線距離で約1・3キロの章子峰(75
43メートル)で、複数の人間がライトを点灯して活動していたのも確認された
。この場所で、衛星電話による通話があったとされる。

(2008年5月24日03時04分 読売新聞)

何だか不思議な訳のわからない話です。
中国は最後にやっぱりシェルパの助けなしには登れないと判断して、身元も確かめずに彼らを雇ったのか?それとも何か彼らが中国批判を口にするなり、妨害行為を行うなりしたのか?
それにしても中国では「チベット青年会議のメンバー」と言うだけでれっきとした逮捕理由になることは確かのようです。

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次はまたまた中国の怖い核漏洩疑惑について、

大起元の記事を添付します。
何も認めない中国が認めたとは相当の出来事に違いない訳です。
大問題になる予感がします。
ま、中国も必死に隠そうとするでしょうが。

四川大地震で懸念される核施設の実態=元中国核開発関係者

文・黄慈萍(物理学者、米国在住)

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【大紀元日本5月28日】中国環境保護部長の周生賢は先日、「今回の四川大地震で32個の放射源が埋もれたが、現在そのうちの30個が回収され、残りの2個はその位置が特定され、周辺に安全措置を取ったため、問題ない」と発言したが、これを聞いてびっくりした。

 かつて核開発の仕事に携わっていた経験から、中共政権が被災地で設置された核兵器と放射源を適切に対処することができるとは思っていない。今日になって中共政権はまた、「埋もれた放射源は50個あり、そのうちの35個が既に回収された」との修正報道を流した。これを聞いて、疑問が深まると同時に、憤りも覚えた。被災地に設置された核施設について中共はよく知っているはずだが、この無責任な対応は被災地に絶滅的な災難をもたらすに違いない。

 インターネットからの情報によると、地震発生後数日経っても、軍事管制が敷かれた安県に自由に出入りすることができなかったという。地震直後、震源地から西と南方面の山に通ずる交通要路は特殊部隊によって厳戒態勢が敷かれた。さらに、山方面に走る軍の車の中に被爆防止作業着を着る兵士の姿が目撃された。

 また、中国核工業建設集団公司は地震後、施工現場で6人の作業員は死亡し、施設に被害はなかったと公表した。しかし実際、プルトニウムと核弾頭を生産する821工場は甚大な被害を受け、6人死亡、11人負傷した。中国マスコミの報道によると、救助隊は放射を恐れず821工場の核施設の強固工事を行い、被害の拡大と環境汚染の防止に大きく貢献したという。しかし、救助隊員は工事前に核施設の怖さを知らされたのだろうか。

 60年代、毛沢東は第三次世界大戦が核戦争になると断言し、西南部に山々が連なり、戦争時の絶好な銃後であると判断し、重要な軍事施設を中国西南部に移動させた。そのため、軍事工業都市と位置づけられた綿陽市に核研究施設(通称二機部)と宇宙開発企業(通称七機部)と兵器工業部の企業(通称五機部)がある。

 地震後、前国家核安全局長で、環境保護部副部長の李幹傑は幾つかの工場と施設を訪問したと報道された。その主な訪問先は以下である。

 核工業の中国核動力研究設計院(通称909所):夾江県に位置する。

 中国工程物理研究院(通称902所):中国核兵器研究基地。前身は西北核兵器研究設計院(国防第九研究院)であり、現在839核工業基地で研究開発を行っている。

 楽山核分裂研究院(通称585所):前身は長春503所であり、楽山県に位置する。

 821場:四川省広元県西北部にある。

 白龍江核基地:核弾頭を生産し、中国最大の核反応炉を製造し、プルトニウムの主要生産メーカでもある。従業員は3万人。

 221場:中国初めての核兵器研究基地である。1964年初めての原子爆弾を開発した。1968年、青海省から四川省錦陽の西南物理研究院に移動した。

 525場:峨眉機器製造工場

 814場:中国の三番目の原子力生産企業で、重水工場でもある。従業員は4万人。

 816場:ばい陵核燃料部品工場。原子弾頭を製造。

 857場:四川省江油市に位置する。中性子爆弾を製造。

 四川宇宙開発技術研究院:中国宇宙開発科学技術集団公司に属し、宇宙開発製品の生産基地、兵器開発生産基地である。

 総装備部中国空気動力発展と研究センター:本部は錦陽市に位置し、各研究所は安県の各地に分散している。

 周辺に甚大な被害を及ぼしかねないこれらの施設の被害状況と従業員の安否を公表してほしいものである。

 ※注:著者は魏京生基金会の事務局長。かつて中国で核開発の事業に携わっていた。

(翻訳/編集・高遠)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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