チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月27日
地震のことなど
ルング(ぶん川)等の被害の大きかった町などはこれから瓦礫掃除に入るとか。
跡形もなく徹底的に掃除されるという。
もしかしてまだ、誰か生きているかもしれない!?とかはもちろんなく、
きっと遺体を選り分けることもなく、遺族の遺体確認等もなく、
消されようとしている。
チャン族、やチベット族の多く住む山間部だから。
このルングの町の隅には100人ほどの生存者が寄り添ってテントの下で救援を待ってるとか?確かBBCの前には数人だったけど、救援隊の振りする人は見えたはずだけど。
とうとう<チ>の字は、未だ持って中国の新華社経由は当たり前だが、BBCにもCNNにもNKHにも出てこないのは如何に!?
それほどの報道規制が<チの字>には掛かっているということか。
中国政府は未だ外国メディアに映像伝送用の伝送施設やアンテナなどの持ち込みを許可していない。
ということは、独自の映像は最初から送れないということでして、すべて中国が見せたくないとこはカットして流すことだって、編集し直して出すことだってできるでしょうね?
それで、日本とかは今回は中国もオープンな態度を示してる、災害復旧にも十分努力してる、とかコメントして募金活動の話に入る。
募金活動と言えば
チベット人も中国の(罹災者の)為に世界中いたるところで、何と先のRFAの話では、先に死者もでる衝突のあった、カムのタオにおいても、僧院の僧侶たちが供養会を開き被害者のための募金活動を行っているという。
お金は誰に渡すのか気になりますが?
これなどは昔(1949年末から)、カムのこのあたりに侵攻して来た人民解放軍の様が余りに悲惨で、疲れ切りお腹を空かせているのを見たあたりのチベット人たちがこれらのラサを目指す中共軍の兵隊に食料を恵んだりしたという話を思い出させる。
え、話が違うって?
果たしてこのチベット人たちは中国人たちの行先を知っていたのであろうか!?
今回の募金のお金の行先はどこなんでしょうかね?
それにしてもどうしても気になるのは、まるで情報の入らない大きな被害を受けたに違いないチベット人地区の状況だ。
中国はこのまま、ちょうどいい機会だと多くの廃墟となった村々を残った住民ごと完全に消え去ることを待っているかの如し。
どうか、ツァンパのみで生き抜くことができるカムのチベット人たちよ、ミラレパのように生き抜き、誰か、日本人とか外人が来るまで生き抜き、必ず経験したことをいつかすべて話すことができますように、、、
このブログをご覧の方の中でこの地域のチャン、やチベットの町や村を訪問したことがあり、写真を持っていらっしゃる方は、必ず大事にその写真を保管し、できればもう一度その地に行かれることを。
助けようにもビルマより遠い今のチベットだ。
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<地震による核物質漏れの疑い>
大紀元の記事ではありますが、一部のみ、
全文は
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/05/html/d60464.html
調べによると、中共政府は四川省(綿陽市)に研究用の原子炉、2つの核燃料生産設備と2カ所の核兵器設備を持つという。中国共産党の四川にある軍事核研究設備では今回の四川大地震で職員が死傷しているが、総作戦部の馬健副部長は、核施設は安全だとし、「部門では死者が出ただろう。しかし核施設が原因で死に至ったとは言えない」と述べた。
これに対し、米国科学者連盟(FAS)の核兵器専門家ハンス・クリステンセン氏は、中共政府の「すべての核施設は安全」という大雑把な言い方に疑問を抱き、なぜ核兵器工場の情報を公表しないのか疑義を抱いている。また、「この地区周辺が受けた広範囲な被害から見て、核材料の軍事工場が地震による災害を回避できたとは考えにくい」と述べている。
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同じく大紀元の記事
<四川大地震=4千年以上の歴史を持つ少数民族集落が廃墟>
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/05/html/d36617.html
消えゆく民族の悲哀を感じます。
【大紀元日本5月23日】四川省汶川県鴈門郷にある4千年前、羌(チャン)族の都であった「萝卜寨(大根村)」は世界最大で最古の黄土を建築材料とする少数民族集落だった。しかし、四川大地震でこの古い集落は廃墟になってしまったという。
「南方都市報」によると大根村は石造りの建物のない羌族の村で、密集する黄土建築物は鳳凰山にそって建てられ、入り組んだ路地はまるで迷路のようである。海抜1970mにあるため、「雲の上の街」と呼ばれる。
四川省考古研究院専門家は2005年3月、大根村が4千500年前には、すでに人類が生活しており、当時この鳳凰山にそって建てられたことから鳳凰村という名前を得たということを確定した。その後村は富順村、老虎村と次々と名が変わり、大根村となった。
四川大地震後、この村の建物はほとんどが廃墟となった。226戸の家屋は難を逃れることが出来ず、5千年近くの風雨を体験してきた黄土の壁は、倒れて地面の上でバラバラの黄土レンガとなってしまい廃墟に変わり果てた。
中略
大根村には「女は水を背負い、男は家で子供を抱く」という伝統があり、酒を飲み、山歌を歌い、週に3日は家で即興の踊りを踊る。彼らはこのように生活してきた。しかし今はトウモロコシ畑の中や新しく積まれた墓の前で女性たちの葬歌が聞こえるだけである。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)