チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月26日

屈辱の<17条協定>を振り返りながら

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4bd2cf58.JPG少し遅れましたが23日付委員会リリースをいつものY女史の翻訳で以下に掲載します。
その場しのぎのうまい嘘条約を強要しておき、挙句平気で約束事を無視する。
こんな悪い人が近所に居たとして、どうしたらいいのでしょうかね?

http://www.stoptibetcrisis.net/pr230508.html
連帯委員会 2008年5月23日 リリース

17-Point Agreement in retrospect
<17条協定>を振り返る

本日は、かの悪名高き「17条協定」が中国によってチベットに強制的に押し付
けられてから、57年目にあたる。
チベット人は1959年以来この条約の正当性を否定し続けてきた、しかしその展
開につながる要因を省察するのは、意味のあることである。

1951年まで、チベットは事実上の独立国家を標榜するにふさわしい必要な属性を
備えていると、国際的にも認められていた。チベット独自の司法制度、統治機構(政府)、通貨、軍隊、自国領土をもち 他国と外交関係を結ぶ権限をも保持していた。
1949年の中華人民共和国成立の後、新生共産党政府は直ちに、チベット カム地方のチャムドまで侵入・占領し、その時チベットはまさに「解放」される寸前であった。チベット政府がその要求に同意しない限り、さらなる軍事攻撃を加えるという脅迫に晒されていた。チベット人側代表団は1951年5月23日、いわゆる「チベットの平和的解放に関する17条協定」(中国側の正式名は「中央人民政府と西藏地方政府の西藏平和解放に関する協議」)に署名するよう、共産党政府に無理やり強制されたのだった。

協定の中には、チベット人自身による要望でない限り、いかなる社会的な変革も行
わない、といったことに加えて、当時のチベット政府やダライ・ラマ法王の権限
と権威を変えないことについても、明言されていた。ところが中華人民共和国政
府は、それどころか協定における約束事を完全に無視し、ダライ・ラマ法王によ
る社会改革の試みを妨害する一方で、中国政府自身による東チベットでの共産改
革を一方的に力づくで開始した。その結果としてそのころ、カムにおいて数千人ものチベット人が殺戮され、数百もの寺院が破壊された。

中国政府はまた、その政治システムをチベット人に対して強制的に適用し始めた
。著名で献身的だったチベット人の大臣2名を除名して、代わりにチベット自治区
準備委員会を設けることで、チベットの政治権力を侵害しようと企てた。
こうした実質的条約無視の現実にチベット人民衆の中には中国共産党への不信と敵対心の波が起こり、遂にチベット人は蜂起せずにはいられなくなっていった。

結果として1959年、ダライ・ラマ法王とチベット政府は、チベットの三つの地域
すべてからやってきた人々に付き従われて母国を離れ、他国に亡命先を求めることとなった。

中国によるチベット侵攻とそれに続く残虐な弾圧政策の結果、1949-79年の30年間に実に120万人以上ものチベット人が命を落とした。6千以上もの僧院が破壊され、信仰の地が塵芥に帰し、教養のある重要なチベット人達が数万人も逮捕・投獄された。こうした政策によってチベット人の伝統芸術や日常の生活習慣が犠牲となっただけでなく、チベット伝統の歌や踊り、子供達の遊び方さえもが否定され、禁止されることとなった。
数世紀もかけて先祖代々受け継がれ、大切に集められていたダイヤや金、銀、ズ
ィ(Zi)などの高価で稀な宝石や装飾品は、中国政府によって没収された。

後年(80年代半ば)、中国が政策を緩めてチベットを外界に開放するようになったと自慢していた頃でさえ、実際の政治権力は、分割されたチベットのすべての地域にお
いてあらゆるレベルで僅かな変化もないまま、常に中国人に奪い取られたままだ
った。
チベット人生来の望みや必要条件をまったく無視するという誤った政策こそが、
絶え間なく終わりのない反政府抗議行動へとつながっているのだ。文化大革命の
暗黒の時代であれ、80年代半ばのチベット統治が比較的緩やかだった時代であれ
、あるいは経済発展と政治的抑圧の強い今日であれ、(反政府行動は)貴重な命
を失うことへの躊躇もなく、続けられてきている。

これらすべてのチベット人達の命掛けの抗議活動の根本的な理由と唯一の原因は、中華人民共和国政府の欠陥だらけの恐怖政策にある。その政策は、古代から受け継がれてきた豊かな文化的遺産やライフスタイルを持っている歴史ある国を、分割統治するという明らかな意図のものに行われてきた。チベット文化は西のンガリ地方、中央のウ・ツァン地方、東のアムドとカム地方の人々すべてを含む広大なチベットの地によって
等しく享受され、分かち合われてきた。
こうした政策が反省され、見直されない限り、チベット人はチベットの大義のための闘いを続けるために、立ち上がらざるを得ないであろう。

(以上)

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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