チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月25日
チベッタンオリンピック最終日
今日はチベッタンオリンピック最終日ということでダラムサラの人々はTCV(チベット子供村)グランドに大挙集合しました。
入場式の先頭をきってチベッタンオリンピックの大旗を手にし行進するのは、歴代のミスチベット!(ロプサンのもう一つの大事なイベントだから許してください)
続いてTCV鼓笛隊、女子選手に男子選手。
それにしてもフィールドには選手の数よりプレスの数の方が断然多い(約50名)とは、これもさすがロプサン。
最終日の競技は、まず男女80メートルハードル(この校庭では斜めにコースを取っても最長80mが一杯なのです)、次に男女80メートル走、両方とも男子のA氏が断トツ一番でした。
彼はすごかったね。結局総合でも彼が男子では優勝しました。
とそのころ「最後の方でやるリレーにプレスグループから一組作って出てくれ」との話が聞こえたと思いきや、「Nお前出るよな!」と結われるままに「OK!」と言ってしまったのでした。と、言うか、最初から出たがっていたのかもしれないが、、出来ればハイジャンプが得意なんだけど、、
でも最初は一人200mと聞き、ううん、もうそんな30年は走ってないな!?と急に練習に入ったりして。
走り幅跳びに、走り高跳び、午後に入り、危険なあらゆる方向に飛ぶやり投げに400m、
そしていよいよリレーが始まった。
400mと判りひと安心。一つ文句言わせてもらうと、とにかくすべての競技が中々始まらない、間延びする(そんなこと考えるのは日本人だけか?)、リレーの時にもその時になって一周(200m)したあとにはコースは無視し内側に入っていいかどうかで長い間言い合ってた。
他の選手を見るとまずはオリンピックチームがいる、他の4チームはTCVの各学校の代表のよう、それに比べ我ら速成のプレスチームは一番アメリカ人、二番RFA(ラジオ自由アジア)のチベット人、3番えせ日本人(今回のオリンピック参加選手中最長老)、アンカードイツ人。
やっと始まると勝負はあっという間、われは3番手だったのだが、自分の番が来た時には遙かなるドンケツだった。
まあ、100m痙攣しないで走れてよかったよ。
それより何より偶然だけどRFAからバトン受けるとは象徴的で私は本気にそれがうれしかったよ。
途中、JJバンドの歌あり、ミスチベットの歌ありで最後までみんな楽しそうにこの可愛くて小さい自分たちのオリンピックを観戦しておりました。
優勝した選手たちは全員「この自分たちのささやかなオリンピックが、チベットで今中国の弾圧に苦しむ同朋達のことを、知ってもらう何かの契機になれば、と思って精一杯頑張った」と最後に檀上にて話していました。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)