チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月24日

チベット帰還行進参加者19人逮捕される。

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c40fb299.JPG昨日のAFP,BBCなどでイギリス訪問中の法王に対するインタビューが載っている。
http://afp.google.com/article/ALeqM5gXUaWWLJXgPiME4aWaHRRMcEK2IA

その他仏教的いいお話は:
http://ap.google.com/article/ALeqM5jE3QLNLsGWauVOMgmmddlif6dXdgD90RF4MO1

その中注目されるのは、
もしも次回の対話がうまくいかなかった場合には、今までの例からして、チベットで暴力をも含めた一連の激しいデモが起こるであろう」
「そうなったら私は法王を完全にやめるしかない

とおっしゃったことだろう。
もちろん「暴力が使われるなら私は辞める」という話は昔からあるが、気になるのは、そうならば、中国としては次回の対談もいつものように何も成果なく開いて終わればいいわけで、自動的にチベットは暴力(石を投げるとか、車を倒すとか)を使ってくれるし、ちょうど良くもっと弾圧する口実もできるし、言うことないわけじゃないかしら?

いや法王は牽制とか脅しのつもりで中国と、チベット人双方に言われたのか?

こんなこというのはたとえば今、チベット帰還行進をメインに推進しているTYC(チベット青年会議)その他の5団体か?

この行進もやっと山間部に差し掛かり、後200キロ、凡そ1かっ月で国境というピトラガートという地点まで来ている。
しかしここにきてインド警察もいよいよ動き出したようで、今日19名の行進参加者が逮捕されたという。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21376&article=Indian+Authorities+block+Return+March+to+Tibet%3b+19+Tibetan+Marchers+detained“>http://phayul.com/news/article.aspx?id=21376&article=Indian+Authorities+block+Return+March+to+Tibet%3b+19+Tibetan+Marchers+detained

もちろんTYCのツェワン リクジン代表はあくまで行進を継続すると宣言してはいます。

今回の行進は今までになく内地の活動にも少なからず影響があったと思う。
ここまで来たのもあっぱれだ。
だいたいこの帰還行進はもう10年以上前から数回試みられてきたが、常に最後はインド警察に阻まれて終わっている。
結局インド政府がいつでも止められるわけで、どこまで中国の顔色を伺いながら
チベット人にサービスし出来るかの問題でもあるわけです。

これは私ごとになりますが、私はかつて大昔、このルートで一人で本気に国境を越えようと試みたことがあります。もっとも私のその時の目的はカイラス山に行くことで、そこを抜けると早いと思っただけです。その数年前にカシュガルからカイラス行きを試みて途中で中国警察に拘束されていたのです。
まだそのころはおそらく日本人は(ほとんど)カイラスに行った人がいないという頃の話です。
くやしいのでインド側からトライしたのです。で、結局国境付近で大雪に会いひざ上までの雪の中を進まなければいけなくなり、あたりには絶え間なく雪崩の轟音が谷間に轟くようになり、その上とうとう前には大きなインド軍の駐屯地が現れたのです。
雪が深くて迂回路も見つけられず、ついに諦めました。
行ってたら死んでたかもね。

つまり、いずれ国境は越えられないと思います。
本当に越えたらえらいことにないますしね。

そう言えば今年は例年許可されている、このあたりの国境から徒歩でカイラス山に行くインド人巡礼者グループの入国も許可されないそうです。
10年以上前から楽しみに計画してきたというインド人の年配者が大勢ひどく残念がっているとか。

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3月の動乱以来チベット亡命社会は全体にじょじょに独立派の勢いが強くなってきたように感じます。
ここんとこについてはTYCの成り立ちの話から始めようと思います、、、
が、
もうすぐ今夜は再び日本人グループがFree Tibet Concertに出演するのを取材(参加)に行かないとならないので、続きは次回。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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