チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月24日
日本での中国少数民族出身貧困女子学生
昨日お知らせした<中国の貧困女子学生>の話にコメントを下さった方がいらっしゃいます。
そのまま、重ねて表にコピーさせていただきます:
「私も数年前,内モンゴル自治区から私費で日本に留学している方と親交をもったことがありますが,日本でも似たような境遇に苦しんでいるようです。どんなに学業で成果を出そうとも,大学の奨学金は(学校側の外交配慮で)韓国や中国の留学生に取られてしまう。スーパーのレジのバイトをしているが,レジの横に本を置き客が来ない時は,その本を読みながら必死に勉強を続ける。疲れて帰ってきたら,母国?の歌を一人歌い心を慰める。そして日本人がいる時は良いが,日本人がいなくなると,とたんに漢人が態度を豹変させてボスになる。当然,非漢民族である彼は辛い思いをする。日本においても中国と同じようなシステムが日本にいる漢民族によって構築されているのは恐ろしい限りです。」
この話で思い出されるチベット人の友人がいました。
彼女はアムドから広島大学に留学しました。
もっとも最初のころは広島のYMCAで日本語を勉強することが中心でした。
もちろん奨学金はないので、毎日バイトしなければいけません。
缶詰め工場に行くことが多かったようです。
私も広島に居たある冬に「今から日本海の方に行って、道路の警備員するよ。寒そうだね」という電話がありました。
そのころ日本海側は吹雪だったのです。
そんな時に外に立ち続けることができるのは、アムドのチベット人ぐらいか!
彼女はいつもどこに行っても沢山の中国人が居て、嫌だ、いじめられる、と言ってました。
夜の仕事なんかにも誘われるが、私は決してそんなことはしないと決めているとも言ってました。
色んな苦労がありながらも、7,8年広島に住み、広島大学大学院まで卒業したのです。
しかし、日本では就職先が見つかりませんでしょた。
なんと、中国出身の留学生は卒業後、中国関係の仕事にしか就いてはいけないという法律?があるそうです。チベット関係の友人とかに当たったけどチベット関係の人たちが中国との人脈に通じているわけもなく、結局仕事は見つからず、お金も尽き気力も尽き、一昨年あれほど帰りたくないと言っていた、国のアムドに帰らざるを得なくなりました。
広島にいることが少なく、十分助けてあげることができなかったと後悔もしています。
今、この緊張のなかでどうしているのか、と心配です。
彼らはいったいどこに行けばいいのでしょう。
彼女は本当にけなげによく勉強し、よく働いていました。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)