チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月22日
チベッタン オリンピック
去る5月16日にダラムサラのバグスホテルの裏庭に大勢のプレスを集めて、
チベッタンオリンピックの開会式が行われた。
本格的な競技は今日から25日までの4日間行われる。
と書くと大そうなイベントのようにも聞こえるが、じつは参加者は男性15人、女性8人合せて23人のみ。
ダラムサラ一のイベント屋ロプサン・ワンゲルが二年前から準備してやっと実現にこぎつけたもの。
彼は数年前から<チベット美人コンテスト>を主催し、保守派に睨まれながらもダラムサラでは大いに受けている。
その他最初に、このイベントを前に独自の<オリンピックトーチリレー>を企画し、実行したりもした。
もっとも彼の発想も平和時にはいいのですが、今回のような緊急事態となり、その雰囲気に何かそぐわなくなってきたようにも感じられる。
一昨年広島の宮島に法王がいらっしゃったとき、冬にも関わらず、いつもの白いパンツに白いジャケット、ピンクのシャツ姿の彼が、いつものように目立った場所に立っているのを見て「なんでお前が日本にまで現れるのか!?」と驚いたものだった。
彼は時々写真を借りるプレス仲間でもあるし、憎めないやつなので応援はしたいのだが、、記者の質問に「どうして、こんなに参加者が少ないのか?このオリンピックは失敗ではないか?」と、きつい質問も出ていた。
しかしまあ、一人一人の選手に話を聞いてみると、多くは最近チベットから亡命してきた人であり、みんなそれぞれ熱い思いがあって参加していると感じた。
一人セラの僧侶だという選手がいた、
「僧院には黙ってきてしまった。帰ったらどうなるか分からない」
「僧侶って普通運動なんかしてはいけないんじゃないの?」
「そうだけど、一年に一回だけ、セラではカムツェン(学堂)ごとに分かれて運動会のようなものがあるよ。そこで、おれは何でもうまくできたから、きっと今回も頑張れば優勝できるよ」
「中国がオリンピックをやるなら、チベット人だって同じようにオリンピックをやっていいと思う。権利はあると思う」
「今チベットの中では大変なことが起こっている。
こんな田舎の小さなイベントでも少しでもチベット問題について誰かに知ってもらう契機になればと思ってる」
と話していました。
みんな頑張ってください。応援します!
もっともどうもロプサン資金不足が悩みの種のようでして、最初は総合優勝者の男女には約US$3000という話でしたが、到底それは無理の状況だそうです。
その上<オリンピックに反対しない>という政府の方針に抵触するとか言われ、政府にもそっぽを向かれているようでした。本人はもちろん濡れ衣と思っていますがね。
寄付したい人は以下に、
http://www.tibetanolympics.com/
変わったところではこのイベントを取材するために日本からわざわざダラムサラに来られた方もおられました。ある雑誌に10ページの特集として紹介されるとのことです。詳しくはそちらに任せます。
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これでチベッタンオリンピックの話は終わりにしようと思っていたのに、さっきルンタレストランで余りにおかしい話を聞き、続きを少しだけ:
最近ダラムサラに長いする日本人の中に一人、元自衛隊というハンガーストライキ仲間がいます。
彼の下に昨日、「明日射撃競技があるので、銃の撃ち方を教えてほしい」というネパールから来た女の子が訪ねてきたとか。
彼女は今までに一度も銃など撃ったことはないとのこと。
空気銃で教えたそうですが、彼ゆわく、
「今日の競技には近づかない方がいいですよ。」と言うことでした。
私も選手にインタビューしてるとき、その子が「中距離とか走るよ」と言ったので、
中学まで陸上をやってた私は「へー、400とか800のタイムは幾ら?(オレは中学の時800が2分10秒だったけど)」
と聞いてしまいました。
まだ一度も走ったことも、計ったこともないとか!?
おいおいロプサン!
だいたいこの話を知ったとき、始めはインターナショナルな大会と言っていたので、私はすぐにロプサンに「俺を必ず入れろよ!」と言ったら「年齢制限がある!」と答えたので、それからきっぱり無視してきたのでした。
だいたいチベット人ほど<運動>に対して関心(文化)のない人種もいない。学校で体育をやるほど余裕がないせいもある、先生がいないこともある。
何よりも仏教では「馬鹿が踊って、歌って、走る」というような偏見?が無きにしもあらず、、、
私もかつておかしな経験をしたことがある。
昔ここに来た頃は仏教に余りに熱心だったことと、第一テレビが無かったので、スポーツなど何年も目にしなかったものだ。
そんなある夏にタイの島に子供を遊ばせに行った時。
丁度オリンピックをやってる時期だったので毎日テレビは選手が必死に競技する様を映していた。
嘗ては、運動好きの私はオリンピックを楽しみにしていたように思う。
しかしその時はその選手たちが必死に競い合っている様を見て、何とも言えぬ違和感、距離感、虚無感、無意味さを感じたのだった。
お金や競争心、名誉のために踊らされてる人々、経済効果や政治的道具として行われる競技。
仏教では「心の善き資質は無限に増強できるが、体の能力には限界がある。体は心を育てるために使われる道具に過ぎない」という考えがある。
つまり頭や心を競うのが人であり、体を競うのは動物である、ということでしょうか。
金メダルの数に特に固執するのは昔から共産圏の国々だし。
はっきりしていることは、スポーツより人権が大事と言うことだと思う。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)