チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月21日
秘蔵ビデオの紹介
以前よりダラムサラ難民一時収容所の子供達が描いた絵のことお話してきましたが、
とうとうその展示会の場所と日取りが決まりました。
東中野の<ポレポレ座>にて
7月22日~8月10日 / 8月19日~8月24日です。
ポレポレ座には無料で会場を提供して頂きました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
また、友人の南くんが私の頼みを快く聞き入れてくれ、全面的にこの企画を立ち上げ実現までこぎつけて頂きました。自分の個展が控えてるというのにね。
有難うーーーーよ、南くん。
詳しいことは追ってお知らせします。
以下に、この展示会に合わせて私がDIIR(チベット亡命政府情報国際関係省)から貰ったビデオを紹介させて頂きます。
展示会で見られるはずです。
もちろん英語なのですが、、、
皆貴重で大事なビデオばかりです。
我こそは!と思われる方がいらっしゃいましたら、日本語版にするための翻訳お願いしますよ。
1、Compassion in Exil:亡命と慈悲
ダライラマ法王がたっぷり見られる、チベット人には特に喜ばれるであろうフィルム。
法王の弟さんのガリ・リンポチェ、「我々はみんな牛小屋で生まれた」と話す兄さんのツプテン・ジグメ・ノルブ(タクツェル・リンポチェ)、妹さんのジェツン・ペマ、ハインリッヒ・ハイラー等々の有名人その他、政治犯のインタビューもたくさん含まれる。
毛沢東との会談の映像。
中国の侵略とその後のチベットの状況、法王を中心に生き抜く亡命チベット人の姿がすべてわかるダイジェスト版。
法王が時計を修理するところ。
法王自身のトンレン等の行の説明。
日々の瞑想のシーン。
91年アメリカ議会でのスピーチ。
最後にはジェツン・ペマが1980年チベット視察団としてチベットを訪問した時のことを語りながら涙する。
2、History of Tibet ,Part 1 :チベットの歴史パート1<1904~1949年The Lost Mystery:失われし神秘>制作BBC 50分
超貴重映像ばかりです。
20世紀最後の秘境チベット。
失われし神秘。
20世紀初頭イギリス、ロシアおよび中国のチベットをめぐる駆け引き。
1903年のインドの動画映像から始まる。
ロシアに先を越されまいと、
1904年ヤングハズバンド率いる英国軍がラサまで侵攻。
チベット人600人が死亡したというギャンツェでの戦闘シーンもある。
通商条約のみで軍は撤退、ギャンツェに通商事務所をおく。
1932年からは動画映像、貴重なダライラマ13世の動画映像もある。
1934(33)年13世がなくなり、
1939年5歳に満たなかったダライラマ14世がラサに入る。
法王がおもちゃの車に乗り遊ぶシーン。
1946年からはハインリッヒハイラーの証言を中心に、いかに中国に侵略されるまでのチベットが楽しい場所であったかを紹介している。
夏にはみんながピクニックパーティーを楽しみ歌い、踊り、笑い、ジョーク好きの平和で楽しげな失われたチベット人の生活が映されている。
彼は「チベット人は物質的には意図的に遅れているが、精神的で知性あふれる人々」とコメントする。
「まったくの中世社会ではあったが、人々は幸せに暮らし、調和ある社会がそこにはあった。
3、History of Tibet Part 2:チベットの歴史パート2 , <1950~1980年The Bamboo Curtain Falls :落とされた竹の帳>制作BBC 48分
中国共産党軍のチベット侵攻。
ダライラマ法王のインド国境までの避難。
51年ラサに中国軍数千人が侵攻、1000年来初めての中国との守られなかった条約締結。
法王が北京に招待された時。
毛沢東曰く、「黒板に何か書いたことが間違っていたと気づいたときには、そのうえに横線を入れるのではなく。完全に消し去ってのちに新しいことを書いたほうがいい」
カンパゲリラの戦い。
中国のプロパガンダ映画「学校でチベットの子供たちに、いいい人と悪い人の違いを教えているシーン」
59年のラサ蜂起。
法王のインド亡命逃避行。
亡命チベット人の暮らし。
、チベット内部での特に文化大革命による徹底的な宗教文化破壊。6000あった僧院寺院は13ヵ所を残してすべて破壊された。。
80年ダラムサラよりの特別視察団がチベットを訪問した時、法王の特使を一目見触れようとする悲しみの大海のような民衆の姿。
4、<Red Flag over Tibet:チベットを覆う赤旗>制作Flontline+BBC 1994年 56分
上記二つと重なる映像も多い。ダイジェト版。珍しい文化大革命時代の映像あり。
法王が北京に呼ばれたとき、最後に毛沢東は「宗教は毒だ」と言明した。
全体にいかにチベットが植民地化され、ますます抑圧され支配され続けているか、その中でいかにチベット人はサヴァイバルしてきたか、その実体を明らかにしようとしている。
80年代の終わりから90年第の初めにかけての暴動と監獄と拷問の実態も明かされる。終りのほうではジャミヤンノルブも登場して「武装闘争しない限り中国は絶対に出ていかない」と語るとことか、今回の特使でもあるギャリ リンポチェも登場して「望みなくても対話を続けるしかない」という。
5、<Tears of Touture:拷問と涙>
1994年DIIR(チベット亡命政府情報国際関係省)制作28分
ダラムサラのドルマリン尼僧院に暮らす、二人の元政治犯の尼僧のナレーションを中心にした、ドキュメンタリーフィルム。
この二人は私もよく知っているし、監督のチベット人も古い友人だ。
これが中国政府制作ならプロパガンダフィルムともとられよう、しかし私が証人になってもいいが、すべて真実だ。
控え目で実直で心清い二人の様が泣ける、造りはいかにも田舎政府制作風だが、そこがまたいい。
6、<China’s Gulag in Tibet:チベット内の中国強制労働キャンプ>
同じくDIIRの1996年制作フィルム、28分。
チベット中に散らばる刑務所、拘置所、強制労働キャンプの実態に迫る。
パルデン ギャンツォ氏やバクド氏も登場する。
33種類の拷問手段があるとか。
中国のシベリア送りといわれ、中国人にも恐れられている、アムドの広大な強制労働キャンプには2万人が入っているという。そのうちの30%はチベット人。
その他カムの森林伐採用の労働キャンプにも数万人が収容されている。
70年代の終わり頃の中国の統計ではチベットの産業総生産の10%は囚人の労働によるものだった。
その利益は如何ほどか?
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)