チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月20日
チベット ジェノサイド裁判始まる。
ダライラマ法王はドイツでは首相の代役と会い、<ベルリンの壁>崩壊の場所に2万5千人を集めたという。
25000人とは!大変な数ではないか?
日本でもしこんなにチベットサポーターが集まったらどうなるか?
日本人が少しは大人になった証拠になろう。
もう法王はイギリスに到着され明日にはブラウン首相と会談する。
どこかの国とはチベット問題環境がだいぶ違うようだ。
丁度先ほどもイスラエルのチベットサポがートグループから電話があり、建設プロジェクトの話で私には嫌な話ではあったが、図書館を援助したがっていた。
変わったところではポーランド政府のエージェントも9-10-3を援助したいと接触してきした。
アメリカからは僧院を建てたいが、、という電話も最近あった。
欧米は相当熱くなってるようだ。
スペインでは何と、とうとう待ちに待った<チベット ジェノサイド裁判>が始まったのだ!
Victims of the Genocide in Tibet will Testify in Spain’s High Court
詳しくは以下の英文へ
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21272
これはスペインのチベットサポートNGOが中国を相手に訴えを起こしたものだ。
100万人以上ものチベット人が中国の侵略の結果死んで行った。これはジェノサイドそのものだ。
この証言者としてダラムサラから3人の僧侶(1人は元僧侶)が招待された。
その写真を見てびっくり!
3人ともよくよく知ってる面々でした。
33年を監獄で過ごしたパルデン ギャンツォ氏は日本でも有名です。
59年に早くも逮捕されました。59年以後の証言者として重要な人です。
後ろの方で国旗を持って歩くのはジャンペル モンラム氏。
彼はいつも私が引用するTCHRD(チベット人権民主センター)の職員で現在ナンバー2です。
私の近い友人でもあります。ブログを書くときなど情報を確認するためによく電話したりします。この前からいくら電話しても通じないのでどうしたのかな?と思っていたところでした。何とスペインにいるとはびっくりしました。
1887年9月27日中国ではじめての歴史的デモを行ったデブン僧院グループの一人です。天安門事件の2年前にです。
もう一人僧衣を来て前を歩くのはバクド氏。
彼の証言は嘗てルンタプロジャクトがインタビューしまとめたものがあります。
少し長いのですが、スペインの法廷でも証拠として同様の話が語られることでしょうから、
以下をじっくりお読みください。
80年代終わりから90年代始めの頃のチベット人の抵抗と中国の弾圧の様が具体的に感じられることでしょう。
なお文章はルンタの高橋さんがまとめられたものです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)