チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月19日
ギャワ カルマパ ニューヨーク訪問
このところBBCでも震源地ルング(文川、町の人口の20%弱がチベット人)の映像が流れるようになりました。
しかし救助班と思われる人の異常に少ないこと、もちろん歩いて来なければいけないから、少ないんだと、中国はいうだろう。
人海作戦は中国の特許のはず、歩いていけるならどんどんボランティアの人だって送り込めばいい。日本人だって外人だって沢山今飛んででも(飛行機ではなくて)行きたい人はたくさんいるはず。
なのに瓦礫の下ではまだ生きてる人がいることは解っているのにほっておく。
見せたくないから、チャン人や特にチベット人が死ぬのは中国人が死ぬのとは違うから、助けようとする人を締め出す。
東京新聞が少しだけ、人民解放軍と武装警察に対し中国政府は被害者救助の命令でなく、チベット人弾圧の命令を出していることを知らせてくれてる。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008051902012454.html
RFAによれば17日にもカム、カルゼ(カンゼ)の町で8人の少年たちがデモを決行した。
庁舎に向かうは橋の上で武装警察に非常な暴力を持って制止され逮捕されたという。
同じくカム、セタでは13人が新たに逮捕されたという。
良いニュースは現地からの電話によれば、カルゼ地方には今回の地震の被害はほとんど及んでいないということです。
BBCでは中国のつぎはもちろんビルマです。
このままでは数千人(少なめ)の子供たちが死んで行くだろうと言ってる。
現地の映像は死体と死んで行く人たち、取り残された人たち、、、
ふとチベットのいまの状況を重ねてしまう。
このイラワジデルタ地帯にはモン族が多いと思う。
チベットと同様の事情も少しはあるように感じる
すぐそばの海上にはアメリカの援助船が待機中、タイにもたくさんの援助物資輸送機が待機しているというのに、、、
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本題に入ろう。
昨日より、ラジオからでギャワ カルマパの独特の重い(素晴らしい)声が聞こえてくる。
17日、18日ニューヨークで2500人を対象に潅頂と仏教講義を行われた。
http://phayul.com/news/article.aspx?id=21277&article=Karmapa+in+America
ニューヨークには8歳の時来られたことがあるとか。
講義の方は菩提心と智慧の教えでした。
潅頂はタムディンという観音菩薩(シワ)の憤怒(ド、タクポ)タイプのそれでした。タイムリーな選択と思われます。
ギャワ カルマパ、 ウゲン ティンレー ドルジェはリラックスした雰囲気でちょっとした冗談も飛ばして会場を沸かせていました。
会場にはチベット人が多かったようです。
ラジオでは
「このアメリカに今回来ることが出来たのはひとえにダライラマ法王のお陰だ。法王に感謝したい。
アメリカに大勢のチベット人が移住してきているが、インドでのゆっくりした生活はもうなく、朝から晩まで仕事しなければいけないとか、仕事が見つからないとかの苦労もあると聞く。
ここに来る前はみんなアメリカ、アメリカと言って移住していったが、正直なところ何だかな、、、と思ってた。
でも今回短い期間ではあるがアメリカに来てみて、思った、チベット人がアメリカに来たことは間違いではなかった、いいことだ、とね。
おっと、でもこんなこといったら、インドいいるチベット人がこぞってアメリカに来たくなるとまずいけど。
言っとくけど、ビザの面倒は私にはできないよ、ハハハ。
アメリカに来ることは、だいたいみんな個人や家族の利を思ってきたことであろう。しかし、今のチベットの現状を思えば、今こそみなさんにはチベットを守る仕事にも精をだしてもらいたいと思う」
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私はカルマパがインドに亡命される前にチベットのツルブ寺でお目にかかったことがある。
ただのジェカ(距離のある謁見)でしたが、暗い玉座に思いっきり不機嫌そうな顔をして座ってた小さな子供という印象が残ってる。
こんな起こった顔したラマに会うのは初めてだな、と思った。
そしてカルマパが確か2000年だったか、インドに亡命された一週間のちにはそれまで住まわれていた、ツルブ僧院に行かされた。
真冬のツルブ僧院、あたりの河は皆凍りついていた。厳戒態勢の寺から情報を得ることは至難の技だった。それでもいくらかの情報をチベット食堂の裏で聞きつけすぐに引き返した。
こちらに来てからもこれまではインド政府によりほぼ幽閉状態ではあったが、それでもどんどん笑顔も増え、精干かつ甘いそのフェースがとくに世界の女性に受け、
人気はこのところ急上昇です。
法王亡きあとチベット人を引連れるのはリンリンポチェではなくカルマパがいいんじゃないか、との話も聞かれ始めるこの頃です。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)