チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月13日

続トンレンの行

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298a0691.JPGゲシェラの授業に入ります。

今日はDream Yoga(夢のヨーガ)でも始めにやろうか?
寝ながら出来るしね!
と冗談から。(先日このクラスに来てる多くの外人が法王から無上ヨーガの潅頂を受けたので、その中には夢のヨーガ等も広くは含まれるので、大そうなものだと軽くから買われた訳)

先週、先々週と菩提心の話をしてきた。
菩提心(ジャンジュップセム)に先立ち、慈悲(ニンジェ)がいる、慈悲に先立ち特別の愛(イオンチャンバ)がいる、特別の愛に先立ち平等心(タンニョン)がいる。

平等心、チベット語のタンニョンには3種の意味がある、
一つは、禅定において対治(個別の治療手段)を使わずとも心が有ると無との中間にほどよく留まっている状態。
二つ目には、感において快・不快を離れて中間にいる状態。
三つ目には、無量の平等心と呼ばれる、四無量心のうちの一つの心。

ここで無量と呼ばれるはその対象がすべての有情をカバーするが故に無量と名づけられる。今ここで言ってる平等心とはこの3番目の無量心のことだ。

ここまでは先週までに話したし、瞑想法も教えた(目前に敵、中性の人、味方を観想し、3人に対して同様の近しい感情が沸くまで行ずる)
平等心はフレスコ画を描く前に下地をでこぼこなくスムーズに均すようなものだ。
そのなめらかな下地ができて初めてその上に素晴らしい菩提心の絵が描けるというわけだ。
敵が苦しめばざまあみろでは菩提心はありえない。

チベット語でイオンチャンバ(親愛の情)と呼ばれる慈悲のもとになる愛が次に必要だ。この心は最終的にはすべての有情をあたかも自分の一人子や母親のように近い、あいらしい、かわいい、存在として感じる心だ。

チベット人は前世来世を信じる。
これは識(心)の原因は識以外にありえず、物質から識がつくられることはないとの考えがあるからだ。それからして子宮内で生まれる新しい識の原因となるサトル(微細)な心が前世からやってくるとした。
またその始まりは無窮、始まりなしだ。終わりもない。

それからして、何万回何兆回と生死を繰り返す間には、すべての有情は一度は自分の母で会ったことがあるとの結論に至る。

少し飛んで、今日の本題のトンレンの行に入る。

この行はもともとチベットに顕密両方をインドより伝えた11cのアティーシャの弟子達が形成したカダム派の師たちによって主に行ぜられ伝えらてきた教えだ。
後にこのカダム派はゲールック派に吸収合併された。それでゲールック派の人たちもこの教えを大事にするのだ。

カダム派の著名な行者ゲシェ ポトワの教え。

まず正座して、目前に今生での自分の母親を観想する。あたかも目の当たりに本当にそこにいるように感ずるように。(どうしても私は母親に対してそんな感情にはなれないと思う人は、誰でもよいから自分ば一番恩を感じる人を思えばよい)

その母を老いて元気のない病気がちの風に思うのがいい。
今にも消え入りそうで誰かの助けがなければ一人では危うい様におもうのがいい。

その母親の苦しみと苦しみの原因をよく分析しそれらすべてを黒い煙、あるいは黒い光と観想し、長めの息と共に両鼻孔より吸い込む、その黒い光の流れが、自分の胸にあらかじめ観想してある、自分の利己心を象徴する黒い塊に衝突させる。

とその黒い母親の苦しみの光が自分の利己心の黒い塊を一瞬にして破壊する。
同時にそこから白い光がまぶしいほどに輝き出る。

その輝く白い光は鼻から吐く息とともに今度は前にいる母親の鼻から母親の胸に到り、すべての幸せと幸せの原因(菩提心、空の理解等)を母親は受取り、微笑み輝くと観想する。

これは本当に自分の心が恩返しの心、慈悲の心に満たされるまで続けることだ。

このようにしてまずは一人の近しい対象に対してこの苦しみを吸い取る行ができたならば、じょじょに対象を広げ、敵味方なく、最終的にはすべての苦しむ有情で廻りの空間を一杯にして、これを行えるようにせよ。
慣れて来たら、対象も多くなるので、すべての毛孔を使って光を出し入れしてもよい。

いづれにせよ、心を変えようと思うなら実際にこれらを実践してみることだ。
ただ話を聞いてだけでは何も変わらない。

これらは実際に苦しむ有情に出会ったときすぐに助けたいと思い、行動することができるように心を訓練するやり方だ。
実際に目の前に苦しむ有情がいるのに呼吸ばかりしていてはいけない、、ハハハ。

実際今のチベットの状況のように遠くにいて助けたくとも助けられない状況もあるだろう。このような時にこのトンレンの行を行うのは良いことと思う。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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