チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月12日

奈良 ビルマ ダルフォール ジンバブエ 地震

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1a75756a.JPG風の便りに日本の奈良の由緒ある寺の僧正がフーチンタオを恭しくもてなして、仏教の街として有名なその市の市長が鑑真和尚の像を送られて、日中友好を演出したとか。

鑑真さん現代の仏教破壊者ナンバーワンのお方に利用されるとはさぞくやし涙を流されたことであろう。
もしも鑑真和尚が現在に生きていらっしゃったら間違いなくフーチンタオの大きな敵となっていたことであろう。

共産党が宗教を否定しなければ共産党になれない。

侵略の後チベット仏教を徹底的に破壊し、最初の2,30年間はチベット人に一切の宗教活動を禁止し、今でも今日もダライラマの写真を踏み絵に使うように命令してるその張本人。
ビルマの現状、屋根の無い家の中で乳飲み子を抱く母
ビルマで罪もない数十万の人々が死にかけているというのに、そんな自国の民が多量に死ぬことより、自分たちの悪事がばれないように外国からの緊急援助を断り続けるかの軍事政権の第一の大事な後ろ盾中国。
軍事独裁のやり方を世界中に教えて勧める中国。

軍事政権が外から何を言われても平気な顔で居られるのは国連で拒否権を持つ中国がしっかり後ろにいるからであることは国際社会では自明のことだ。

チベットもしかり。

テレビに映し出される映像も軍人のボスが漢字がしっかり表に書かれた援助物資を避難民に届けるシーンばかり。大きな中国の緊急援助物資を積んだ輸送機が大きく映される。

中国以外の外国の援助金も品物も自分たちがまず貰ってからその後でゆっくり使い道は考えるという政府。

すべてやらせの世界はチベットも一緒だ、閉ざされた暗闇の中で虫けらのように死んで行くのも同じだ。

中国は今資源獲得のためには何でもやるのだ、善悪のことなど考えたこともないらしい。
ビルマの豊富な天然ガスを独占的に買い占める為に扱いやすいこの軍事政権を作り捜査している。
代わりに多量の武器を供給する。

日本も外国人はほとんど<ビルマ(バーマ)>と呼び続ける国名を<ミンマー>というこの軍事政権が新しく作った国名を天然ガス欲しさに採用し、金も相当使って現政権を援助し続けてきた。それでも武器の力には到底及ばず中国に悪負けしてばかり。

安い武器を餌にアフリカではまずはスーダンの石油目当てにダルフォール虐殺に使われた、使われつつある中国製AK47軽機関銃を多量に与え続けた。
紛争は何時でも中国の絶好の商機なのだ。

インドネシアをはじめネパール、スリランカ、アフガンその他でゲリラ戦を続ける者たちには100ドル以下で中国製改良版カラシニコフAK47が供給される。

最近でもジンバブエの殺人鬼ムガベに対して仲間の危機を救うために、またまた早速武器を満載した輸送船を送った。しかしちょっとそんなに世界もマフィア軍団に好きにさせておくのもどうか、いずれすぐに殺人に使われる事が明白な武器を、、、ということで近隣の港をもつ国に圧力をかけた。中国の武器船も港がないんじゃね、帰ろうと言って帰ったばかり。

ケニアも同様。このままではアフリカは近いうちに全部中国の植民地になるかもね!?これを中国式新植民地政策とでも呼ぼうか。

そんな事情のある、そんなことを毎日考えてる張本人、責任者、一般的にはジェノサイダーと呼ばれても不思議はない人と知って、日本の皆様はお会いになったのでしょうか?
知らない訳ではないでしょう。或いはここは<見ざる、言わざる、聞かざる>の修行と思召したのか?

ま、私はもう先が長くないので、大したことはないのですが、今の若い人たちは将来大変でしょうね。こんな世界の悪者うら代表のような中国がこのまま経済的にも軍事的にも巨大になるとすると世界は、日本はどうなるのでしょうかね?
実際少し心配ですよね。
破壊された家の前には家畜の死体?
写真はサイクロン後にビルマに観光に行かれた人から送られてきた写真です。

何でただ助けを必要とする人を助けようとする者を拒むのでしょう。
ただただ自分たちの椅子を失いたくない数人のやくざな人たちのせいで、それを約束する中国のせいで、多くの人々が死んで行く。

オックスファームの調査ではこのまま政府が外国の援助を断り続けるなら150万人の更なる犠牲者が発生するという。

FREE CHINA!

成都の北西で発生した強い地震のチベット地域での被害が心配だ
今まで何度も中国との衝突についてお知らせした、アバ、ギャロンが被害地に入ると思う。すでに数千人の犠牲者が出たとのこと。
この地域の大抵のチベットの家は石造りの2,3階建だ。
比較的簡単に崩壊するし、石の下敷きになれば死ぬであろう。

心配だ。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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