チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月9日

アメリカ経由ラサ情報

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8eb16c19.JPG5月7日RFA(ラジオ自由アジア)の放送の中でラサの現状についての報告がありました。

以下の情報はラサ在住のチベット人がラサ在住の外国人に語り、この外国人がアメリカにいる知人にE-mailを送ることによってもたらされたものです。

前半はラサにいる外人の報告、後半がラサにいるチベット人の報告です。

チベット語をラジオから録音したものを当地にいっらっしゃるOチベット医学医師に翻訳して頂きました。

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 最近、ラサではチベット人が毎日、脅え慄きながら生活している状況が続いています。それに関する情報が、ラサ在住のアメリカ人から入りました。ラサの状況を報告するのはとても難しい状況にあり、今回の件に関しては安全を期すために匿名で報告されています。

 ラサではある日、街の警備がとても緩やかになったように見えても、その翌日には大通りや交差点に警官が配備されて、行きかう人たちに身分証明書を提示させて検問を行うなどの状況が現在も続いています。しかし、チベット人に対しては厳しい尋問を行うのに対して、ラサにいる中国人とイスラム人に対しては検査を簡単に済ませるだけの状況を、この外国人は目撃しました。

 ラサの街をおおまかに見渡すと、一見、軍隊がいないように見えますが、大きな家やホテルの敷地内には軍用車やテントが置かれており、空いている場所にはすべて軍隊が駐留しています。大きな空家や、家の裏側や、チベットの病院などの敷地内にも軍隊は隠れています。

 通りを行きかう際に、知り合いと出会っても脅えながら話をしなくてはいけません。二人以上が集まって話をしているだけで疑われるので、誰もが外に出るのを恐れて中に閉じこもっている状況です。怖れることなく勇気を出して発言してくれた数名のチベット人によると、心に激しい怒りが生じたり、とてもこの世の光景とは思えないおぞましい出来事を耳にすることはあっても、写真などの証拠がなければ情報を外に伝えることは難しい状況になっています。

 普段から街角には監視カメラが設置されています。大昭寺の前の広場には戦車が配備され、街のあちらこちらに軍隊がいる様子を写真に撮られるのを中国政府はとても怖れているからではないでしょうか。

 三月十四日以降、さらに多くの軍隊がラサに到着したもようです。そして強制的な家
宅捜索によって証拠写真を押収され、虐殺の証拠が外に出ることはありません。また、知人友人が突然連れ去られていなくなり、「家に戻ってこない。どこへいってしまったんだ」と捜索しなくてはいけない状況が多数あるようです。

 数日前にラサ在住の外国人がチベットの緊迫した状況を発信しました。その中で、もし発覚したならば逮捕されるかもしれない危険を顧みずに語ってくれたチベット人によってラサの最近の状況が報告されています。しかし、この人は身の安全のために名前や生まれの干支などは明らかにしていません。

以下そのチベット人の証言です。

3月14日の昼、ラモチェ僧院の前でチベット解放を要求する抗議デモを行ったときのことです。そこに軍隊が発砲し、何人かが倒れて死に、逃げていく状況を見て、本当に恐怖を感じました。普段は政治的な抗議活動に対し放水や催涙弾を用いるのですが、今回は銃を用いたので恐ろしくなって急いで家へ帰りました。

 その夜六時に子供を迎えに学校へいったときにもまだ軍隊がたくさんいました。そして軍が、出迎えにきた親たちに向かって発砲した銃弾の一つが子供の足にあたりました。また、頭か首かどこかに当たって死んだ人もいました。
その死体を遺族が病院から引き取ろうとしたとき、病院側が拒否し、あらゆる手段をつくしたけれど受け入れてもらえないことから最後の手段として「病院に火を放ち自分も焼身自殺する」と脅したところようやく引き渡してくれたということです。しかし数時間後に軍隊が家にやってきて再び遺体を奪っていきました。

 3月14日以降、誰であれ遺体を鳥葬場に運ぶには三つの許可書が必要になりました。三つの許可書とはひとつは公安、ひとつは病院、ひとつは弁護士から発行されるものです。遺体を写真に撮ってお互いに情報を交換しあったり、外国のメディアに紹介されるのを中国政府がとても恐れています。

 3月14,15,16日の夜中にチベット人宅すべてに対しダライラマ法王の写真がないか家宅捜索が行なわれ、さらに身分証がないチベット人を逮捕し連行しました。また、14日にダライラマ法王の写真を掲げて行進したときの証拠写真をもとにして、一人一人の顔を確かめていました。銃を持った軍人が数十人ほど押しかけてすべてを調べられたのです。

 3日間家の中にいなくてはならずトイレ以外、外に出ることは禁じられました。家の中にはツァンパ以外食べるものはなく、何軒かはガスもなくなりお湯を沸かすことすらできなくなりました。私たちは窓を閉め切って中にいたのですが、その周りに軍隊がいました。ちょっと外へ出ただけで厳しい仕打ちをうけるのです。

 そうして三日間が過ぎたときに電話がきて、政府の職員は仕事に行くように命令が下りました。しかし相変わらず身分証がなければ外へ出ることは許されず、後で近所の話として聞いたとところでは外出しただけで一人が逮捕され、一人は銃弾を受けたそうです。

 外国の調査団が到着したとき、多分、それは27日から29日までのことだと思うのですが、大通りからは中国軍の姿が全く見えなくなりました。しかし、実際には軍服の変わりに警官の制服を着たり、交通整理官の服を着たり、また平和な一般市民のふりをして隠れていました。そして調査団がどこでも自由にいけるようにし、普段は設置されている道路の検問所を一時的に撤去しました。

 インタビューに対しチベットの服を着て装った中国人が答えたり、またそうでなければすぐさま何を聞かれたかを詰問しその質問されたチベット人を写真に取るなど行っていたようです。そんな状況において真の情報を外国の記者団に教えたかったのですが、捕まるのが怖くて行動に移すことができませんでした。

 しかし、何人かのジョカン僧院(大昭寺)の僧侶が外国記者団に訴えかけたという情報を耳にしてとても嬉しくなりました。その当時、お寺の周囲には引退した元政府職員の年寄りばかりいましたが、それは宗教の自由を見せかけるために中国政府から命令されていたものでした。普段は逆に職員はお寺にいってお祈りをしてはいけないのにも関わらずです。政府の職員はその日、職場から休みが与えられ、いかにも自由があるかのようにラサの街を歩かねばならず、できるなら友人を連れ立ってポタラ宮などに遊びに行くようにとの指示がありました。

 外国記者団が去ったあと、隠れていた軍隊が表に出てきて、ジョカン僧院の僧侶をはじめ、記者団に本当のことをしゃべったチベット人が捕らえられたと聞きました。

 また4月17日から20日の間に、三大寺のひとつセラ寺の僧侶の大半が秘密裏に別の場所に連れ去られました。もともと300人以上はいたのに、今では管理人の僧侶など数名しかいなくなりました。ある夜、15から20台ほどの軍用車がやってきて僧侶を捕まえて連行したということです。デプン寺とガンデン寺ではどのような状況なのか情報は入っていません。しかし、どうやら多くの僧侶はセラ同様にラサ近郊に連行されているもようです。またラサ近郊のお寺の僧侶や尼僧もやはり連行されたようです。これはオリンピックの聖火がラサに到着したときに僧侶や尼僧に妨害されるのを恐れてのことだと思われます。

 4月の末には、ラサの公立大学の学生と教師と、ラサ出身のチベット人以外はみんなそれぞれの故郷へ帰されました。聖火が到着したときには、中国人とラサ出身のチベット人だけで出迎えるようにするためです。数年前に催された「チベット解放50周年記念式典」の際にも同じようなことがありました。

 ラサ市内の学生、教師、政府職員は全員、3月14日の行動の詳細とともに、ダライラマを非難する文書を提出させられました。私の子供は学校でこのような文章を三度も書かされたのです。

 刑務所に収監されたチベット人たちには、食べ物や水が与えられず寝具も与えられず飢餓と寒さに苦しんでいるようです。また、拷問するにあたり、腎臓や肝臓を狙って激しく打ちつけて内臓を壊し、早く死ぬようにしているとか。これらの情報は刑務所から開放された三人の知人から聴きました。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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