チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月8日

チベットトーチャートーチチョモランマへ、ビルマ、アフリカ

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d3bb367a.JPG今日は朝からBBCで中国の<チベットトーチャートーチ>がチョモランマの頂上に到着した映像が流れている。

トーチ到着前からラサよりシガツェ、ギャンツェ、ティングリに掛けて、中国の兵隊やら警官やらがチベット人の家々を回りダライラマ法王の写真がないかどうか荒探しし、有れば引連れて行くなり、金を要求したりする。
各僧院、家々に中国国旗掲揚を強要する。逆らえば同様のことが起こる。
こんな情報が内地から度々入る。

<チベット人トーチャートーチ>とはこういう意味だ。どれほどの人権侵害が、不安と恐怖がこのトーチによって引き起こされているかを知るべきだ。

ネパール側でもネパール政府はこの時期エベレストに近づくものには発砲も有り得ると脅しをかけてる。ネパールはすでに半分以上中国だ。
ちなみに日本は1/4ほどでしょうかね?福田氏に限定した話ですと1/2かな?

それでも良い話は麓のシェルパの人々が困窮のチベット人を支援するためのデモを行ったということでしょう。シェルパはもともと300年(このところ記憶がはっきりしません、間違ってたらごめんなさい)ほど前カムの方から今のネパール、ソロクンブ地域に移動してきたれっきとしたチベット人。チベット仏教の熱心な信者なのだから、当たり前と言えば当たり前なのです。

私ごとですが、私は山が好きで、5000m弱の裏山に登ったり、麓の洞窟を転々としながら長く山に暮らしていたこともあります。

チョモランマといえば、ベースキャンプまで一人で歩き通した4歳の息子の誕生日をベースキャンプに置き土産されていた日本の小豆の缶詰めで祝ったことを思い出します。その時は他に5歳の娘も歩き、生後6か月の娘を背中に背負っての旅でした。

そんな楽しい思い出の場所がこんなに悲しい場所となるとはほんとに残念なことです。
一言で言えば中国共産党のやり方は登山の精神?に真っ向から対立すると感じます。
臆病者のやり方です。

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これはチベットのことではないのですが、
BBCではこのところ毎日ビルマ(ミャンマーという新しい国名は現在の軍事政権が着けた名前なので私は使わないのです)
の悲惨な台風被害の様子を伝えています。

私ごとの続きになりますが、先の冬に2週間ビルマに行ったばかりなので特に同情を誘うのです。2週間のうち10日間は僧院内で座ってばかりいたのでそんなにビルマを見知ったわけではありませ
しかしチベットと同じようにエンジ色の僧衣を纏った僧侶たちが抗議の行進をしたという道を歩きだすと、涙が出てきてしかたなかった。

中国が軍事政権の裏にいるが故にこの国もチベットと同じ状況に置かれている。
それに対し僧侶が命掛けで声を上げた、民衆がそれに続いた。軍隊の発砲により鎮圧m弾圧されたままだ。デモに参加した僧侶のいた僧院は、まだその時閉鎖されたままだった。多くの僧侶が行方不明のままだという。

それにしてもビルマ人は本当にいい人ばかりだ、チャイ屋で可愛く元気よく働いている、学校へ行けない子供がたくさんいる(写真の子供二人も何日か通って仲良くなったビルマのそんな男の子)。
タイから来るとその貧しさはちょっとした衝撃でもある。
あんなに天然ガスが豊かな国なのに、ほとんどすべては中国に持って行かれる、軍事政府に入った金が庶民に渡ることはない。

今度の台風被害もまともな予告をしなかった政府、外国が援助したい言っているのに秘密がばれるのを恐れて中に入れようとしない中国傀儡軍事政府。人が10万死のうが20万死のうが何にも感じないのがこのマフィア中国グループの人たちの特徴のようです。
こうなったら「せいぜい被害者数を増やして援助金もどっさりもらってまた武器を買えばいいさ」ぐらいにしか考えてないのでしょう。
明らかにこれからの死者は人災です。

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ついでに中国はつい先ごろまで、アフリカのジンバブエの圧政者アフリカンチャンピオンのムガベに人殺しの武器を供給すべく輸送船を急ぎ送ったが、結局世界からの非難やらで荷揚げする港が見つからず引き返したばかり。
悪者同士はすぐに仲間になるらしい。

スーダンのダルフォールの状況を悪化させてるのも中国、ケニアを経済植民地化しようとしてるのも中国。

北朝鮮の裏にももちろん中国。

中国は自国内だけでは物足りなくて世界中に武器を暴力を、恐怖政治を蔓延させる。
多量の血を見続けていないと落ち着かない、丸っきりの精神異常者と私は思うのだが。そんな男とにこにこ握手できるどこかの首相はただの臆病なお人好しです。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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