チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年5月5日
再び悲しい話 拷問死
日本は今日は、男の子の日、連休最後の日なのでしょうか?
日本にいないと当たり前に、連休も子供の日もないわけです。
左の絵は亡命に失敗し刑務所に二週間いたことのある14歳の男の子の絵です。
明日はいよいよフーチンタオが日本にいらっしゃる日ですよね。
この前のリベンジデモですか?
今回はみんなで
<Free China! Free China! 中国人に言論の自由を!中国人に言論の自由を!>
と叫ぶことを真面目にお勧めします。
まず彼らを憐れむべきです。
中国人が解放されない限りチベットは解放されないと確信するからです。
<対話?>も予定通り何の成果もなく終わったようです。
そんなことより何より私は今、苦境にある多くのチベット人のことをまず知ってほしい、知らせてほしい。
それからその人たちを助けることを考えてほしい。
<トーチ>も<対話>も本質にほど遠い。
5月5日付TCHRD(チベット人権民主センター)記事より。
http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080505.html
<また一人のチベット人が拷問死>
4人の子の母親であった、アバ地方チャルフ村出身のネチュン38歳は刑務所で受けた悲惨な拷問の末死亡した。
先の3月16,17日にあったアバでの平和行進に彼女は参加した。
デモの最中、最初に庁舎のドアの表札を取り外した本人として翌18日逮捕された。
9日間拘束されている間に彼女は様々な拷問を受けた後26日に出された。
しかし彼女はその時すでに重体であった。
体中に傷や痣があり、話すことも、食べることもできない状態だった。
しきりに吐き気をもよおし息も絶え絶えだったという。
出獄と同時に親戚の者たちがすぐに彼女を地区の国立病院に運び込んだ。
しかし病院側は診察を拒否し、治療を受けることができなかった。
これは明らかに当局の圧力によるものと思われる。
適切な緊急医療へのアクセス自体を不可能とさせられたのだ。
そのまま何の医療手当ても受けることができないまま、ついに22日後の4月17日中国地方当局の傍観無視、無慈悲、無関心の中、彼女は亡くなった。
その上、当局は彼女の葬儀を行おうとしていた僧侶たちにまで、それをさせないように警告(脅迫)文を送ったのだ。葬儀に僧侶の姿はなかった。
この事実は中国当局が如何に広範囲に全てに渡り、チベット人の基本的人権を無残に、不気味に侵害しているかを証明している。恐怖を使って。
死の床にあった彼女を見守り続けたのは、まだ年端もいかぬ4人の子どもたちだけだった。父親は逮捕を恐れて逃走したままだという。
このことは中国は昔と少しも変わることなく、チベット人良心の囚人に対し拷問を使用している証である。当チベット人権民主センターは中国政府に対し、拘置所において告白を引き出すために拷問の手段を使うことを速やかに中止することを求める。
さらに各国際機関、国連に対しチベットにおけるチベット人の基本的人権が守られるよう行動することを要請する。
以上
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この情報はRFA(ラジオ自由アジア)に直接現地から電話で伝えられたものです。
私も直接ラジオからその人の声で聞きました。
私いはその人が嘘を言ってるとは思えませんでした。
多くの現地からの電話からは切羽詰ったような声でが聞かれます。
そのような人が嘘をいうでしょうか?
もちろん最終的には中国側を信じるもチベット側を信じるも聞いた人の自由です。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)