チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年5月2日

拷問死 ペンボ  その他お知らせなど

Pocket

まず、今日TCHRD発表から、

http://www.tchrd.org/press/2008/pr20080502.html

3月10日に始まったラサのデモは素早く周辺の町村に広がった。ラサ近郊の町ペンボでは15日に数千人のチベット人たちが命掛けの行進を行った。
これに対し当局は発砲し、多くのチベット人が殺害され、逮捕され、拷問を受けている。

先にラサ地裁においてラサ騒乱の罪によって刑期を受けた者の中いもペンボのデモで逮捕された者も含まれている。例えばペンボ ルンドゥップのイシェ35歳は12年の刑を4月28日に言い渡されている
中国側は「これらの者どもは3月14日ラサで破壊行為をした者たち」と発表し、あたかもあの破壊行為のみがあったかの印象を与えようとしている。その中にペンボのチベット人がいることは発表されない。

4月1日、ペンボ、ジャンカのデドン村の農夫ダワ氏31歳が死亡した
彼は3月15日のデモに参加し、逮捕されてた。
複数の情報によれば、彼は逮捕された後、取調官から酷い拷問をうけたという。
彼が重体となったことを知った当局は、3月27日彼を病院に送った。
4日後の4月1日に彼は死亡した。

家族の悲しみに塩を塗るように、公共財を破壊し、経済にダメージを与えたとして。彼の家族に対し罰金1000元を支払うよう要求した

____________________________________

20年前一連のデモの後、拷問により亡くなったチベット人はたくさんいるのです。
判明しているだけでも20人はいます。ルンタのホームページとか9-10-3のページに記録があります。

中国の嘗ての拷問文化は有名ですが、今も全く変わっていないのです。
なるべく跡が残らないように工夫することはしますが、、、

____________________________________

旅行人ノート地図 アムド ゴロ アバ
ここでひとつ、これを読んでくださっている方に、お願いがあります。
記事の中に出てくるチベットの地名に心当たりのある方、旅行で行ったことがあって、写真を持っていらっしゃる方、町の様子とかご存じの方はお知らせ下さい。

私もチベットには何度か行ってはおりますが、ゴロ、アバには行ったことがありません。

又私は地名についてはいつもチベット語をカタカナ表記で記しています。中国語に書きかえられた地名は全く理解できないし使う気にもなりませんが、対応する漢語をご存じの方は教えてください。
できるだけ今後は漢語表記にも気を付けますから。

ab66ad6c.JPG
例えば添付の写真は<旅行人ノート、チベット>中172Pの地図です。
ゴロの人達が山にこもっている、とお知らせしている場所は<日>と書かれたところです。チベット語では<ダルダ>です。
名峰アムネマチェン山の南、山と草原が広がるいかにもチベットらしい素晴らしい風景のところと思います。
昼間の空はどこまでも蒼く深く、夜は満天の星空でありましょう。
その空の下で、なぜにこんなにもチベット人は苦しまなければならないのか、、、

___________________________________________________________________________

今日付けの中国新聞(日本の)の記事から
<対中外交にらみ「貸し」 米との共同歩調も考慮>

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200805010356.html

チベットの人権問題を理由に欧州各国首脳が北京五輪開会式出席を見送る中、福田康夫首相が出席する方向になった背景には中国側に「貸し」をつくることで、今後の対中外交を有利に展開したいとの思惑がある。ブッシュ米大統領も出席する考えを堅持しており、日米が共同歩調になることも後押ししたようだ。

五輪開会式に誰を出席させるのか、政府は回答を迫る中国側に対し、具体的な言及を避け続けてきた。胡錦濤国家主席の来日を目前に、五輪出席問題は「東シナ海のガス田問題などで譲歩を引き出す強力な外交カードになる」(政府関係者)として、慎重に判断のタイミングを探っていた。

___________

一に、中国が<貸し>を覚えていると思うお人好し。
二に、チベット人の命を見捨てればガスが手に入ると算用する心。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

ちべろぐ

Archives

  • 2018年3月 (3)
  • 2017年12月 (2)
  • 2017年11月 (1)
  • 2017年7月 (2)
  • 2017年5月 (4)
  • 2017年4月 (1)
  • 2017年3月 (1)
  • 2016年12月 (2)
  • 2016年7月 (1)
  • 2016年6月 (1)
  • 2016年5月 (9)
  • 2016年3月 (1)
  • 2015年11月 (1)
  • 2015年10月 (2)
  • 2015年9月 (4)
  • 2015年8月 (2)
  • 2015年7月 (14)
  • 2015年6月 (2)
  • 2015年5月 (4)
  • 2015年4月 (5)
  • 2015年3月 (5)
  • 2015年2月 (2)
  • 2015年1月 (2)
  • 2014年12月 (12)
  • 2014年11月 (5)
  • 2014年10月 (10)
  • 2014年9月 (10)
  • 2014年8月 (3)
  • 2014年7月 (9)
  • 2014年6月 (11)
  • 2014年5月 (7)
  • 2014年4月 (21)
  • 2014年3月 (21)
  • 2014年2月 (18)
  • 2014年1月 (18)
  • 2013年12月 (20)
  • 2013年11月 (18)
  • 2013年10月 (26)
  • 2013年9月 (20)
  • 2013年8月 (17)
  • 2013年7月 (29)
  • 2013年6月 (29)
  • 2013年5月 (29)
  • 2013年4月 (29)
  • 2013年3月 (33)
  • 2013年2月 (30)
  • 2013年1月 (28)
  • 2012年12月 (37)
  • 2012年11月 (48)
  • 2012年10月 (32)
  • 2012年9月 (30)
  • 2012年8月 (38)
  • 2012年7月 (26)
  • 2012年6月 (27)
  • 2012年5月 (18)
  • 2012年4月 (28)
  • 2012年3月 (40)
  • 2012年2月 (35)
  • 2012年1月 (34)
  • 2011年12月 (24)
  • 2011年11月 (34)
  • 2011年10月 (32)
  • 2011年9月 (30)
  • 2011年8月 (31)
  • 2011年7月 (22)
  • 2011年6月 (28)
  • 2011年5月 (30)
  • 2011年4月 (27)
  • 2011年3月 (31)
  • 2011年2月 (29)
  • 2011年1月 (27)
  • 2010年12月 (26)
  • 2010年11月 (22)
  • 2010年10月 (37)
  • 2010年9月 (21)
  • 2010年8月 (23)
  • 2010年7月 (27)
  • 2010年6月 (24)
  • 2010年5月 (44)
  • 2010年4月 (34)
  • 2010年3月 (25)
  • 2010年2月 (5)
  • 2010年1月 (20)
  • 2009年12月 (25)
  • 2009年11月 (23)
  • 2009年10月 (35)
  • 2009年9月 (32)
  • 2009年8月 (26)
  • 2009年7月 (26)
  • 2009年6月 (19)
  • 2009年5月 (54)
  • 2009年4月 (52)
  • 2009年3月 (42)
  • 2009年2月 (14)
  • 2009年1月 (26)
  • 2008年12月 (33)
  • 2008年11月 (31)
  • 2008年10月 (25)
  • 2008年9月 (24)
  • 2008年8月 (24)
  • 2008年7月 (36)
  • 2008年6月 (59)
  • 2008年5月 (77)
  • 2008年4月 (59)
  • 2008年3月 (12)