チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月28日
法王の四十九日法要
ダライラマ法王はパレス(こじんまりとした自宅)より、
ツクラカンに向かわれた。
前庭も本堂の周りもきっしりとチベット人及び外人、日本人(約15名)で埋まっていた。
約1500~2000人が参加した、今日の<四十九日法要>
3月10日から7週目が今日にあたる。
チベットでも日本と同じように四十九日法要を行う。
チベットでは亡くなって一週間づつを節目に法要を行う。
その締めくくりが今日だ。
お遅くとも49日以内に次の生を得て六道の何れかに生まれ変わると信じられているからだ。
法要の意味はその死者の霊?(サトル マインド)をなるべく上界に導く手助けをこの世から行うということ、かな。
写真二枚目には左手にギャワ カルマパ 右手には総理大臣のサムドゥ リンポチェのお姿あり。
余談ですが、実は今日は自分で写真が撮れなかったのです。セキュリティーチェックのとき自分のプレスカードの期限が切れてることを指摘されカメラはだめと言われたのです。
ま、それはそれでと、友人?の例のロプサン ワンゲルに「写真は任す、後で送ってね」と頼んで自分はゆっくり後ろの方で他の日本人たちと一緒に座ってお経など時々読んだりしていました。
ちなみに、お経は前後はいつものセットで中ほどに<サンチューモンラム(普賢行願讃)>と<チュンジュック モンラム(入菩提行讃嘆)>が唱えられました。
そのうちお茶が配られはじめ、日本人グループはお菓子とか出しあってお寺でピクニックもどき。
次にはバナナとマンゴウが飛びはじめ、あたりは俄かにざわめきはじめました。
すぐそばにはTCVからの子供組もいるのです。
かれらは今日は休み!滅多に口に入らないマンゴウーが投げられ始めるともう争奪戦状態。
終わりには、何やら楽しげな雰囲気の末席でした。
結局犠牲者の方々やその家族の人たちにとっては死は耐えがたき、かなしい出来事ですが、因果と来生を堅く信じるチベット人にとってみれば、今回亡くなった人々はチベットのために殉教?殉死?した者たちばかりなのだから、
来生は良いに決まってると思っているかのようでもありました。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)