チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月27日
北京経由のチベット人ブログより
北京の福島さんのブログ
http://fukushimak.iza.ne.jp/blog
に載せられたチベット人ウーセル
(ブログではオーセルとなっていますが、ウーセルが近いはずと勝手に名前を変えます)
氏のブログ「大事記」より:
4月2日、チベット自治区で県所長級以上の会議が招集され、チベット自治区党委書記・張慶黎が厳しい講話を行った。「チベット独立分子の捕獲を強化し、早く逮捕状を出し、早く捕まえ、早く審理し、早く殺せ」と。また語気鋭く、「まとめて殺してしまえ」などといい、会場では拍手喝采となった。しかし、多くの人が内心、恐ろしくて口をつぐまざるを得ず、これまでのツケを払う時期がついに始まった、とささやいた。張慶黎はまた、メーデー休みのときに海外の旅行者を含む観光旅行を受け入れを再開する、とした。この講話は4月3日、ラサの当局各部門にも伝えられた。
ある情報によれば、チベット自治区ラサ市の各地区の各当局機関、各国私営企業、各大学中学小学校、各居民委員会などの事務所では、3・14事件を世論でたたくよう要求があり、「ダライ分裂集団」の罪を暴くよう求められた。とくにチベット族幹部、職員は「ダライ集団」の「暴行」を暴き、ダライ批判文を書くよう求められた。過去に寺院に対しても同様の活動が行われたが、さらに社会全体にこの活動はひろがっており、7、8才の子供も例外ではない。
中国公式メディアの一方的なプロパガンダ方式の報道により、中国人の間には民族仇恨の感情が生まれてきている。中国のインターネット上では、チベット族をののしり、チベットの精神的指導者・ダライ・ラマをののしる言論であふれている。また、経験者(目撃者)と身分を偽ってウソの文章を書くものがたえずあらわれ、ラサ、アバ、そのたチベット地域で発生した抗議事件の真相を覆い隠している。北京、上海などのホテルでは、チベット族の予約やチェックインを拒否するところが出てきているらしい。
ラサの列車駅の部屋は臨時の監獄になっているという。一部の拘束されたチベット族は列車に西北の監獄に護送される。もっか、ラサから西寧行きの列車では、ほとんどのチベット族は徹底的な検査をうけ、多い場合は七回のチェックを受けねばならない。チベット自治区で身分証明書のないチベット族はラサには入ることができない。
アムド(四川省アバ州)アバ県の栄薩郷は、全ての郷鎮のなかで、当局がもっとも宣伝と捏造を展開している地域だ。現地の民衆にビデオカメラに向かって、「ダライ集団反対」「永遠にダライ・ラマの写真は持ちません」「ダライ集団には参加しません」「分裂主義者には従いません」「民族分裂の画策は成功しません」「中国共産党を熱愛しています」「党の指導者の言うことを全て危機、党の恩と徳に感激します」などの8項目の内容を発言させ、もし言わなければ、すぐに逮捕したという。
新華社北京発(電子版)25日:新華社記者が関係筋から得た情報によると、ダライラマ側が対話回復を繰り返し提言してきたことを考慮して、中央政府関係部門は最近、ダライ側との私的代表人と対話にむけた準備協議をすすめている。中央政府のダライに対する政策は一貫しており、対話の門戸はいつも開かれている。接触協議を通じて、ダライ側には、祖国分裂活動を停止し、暴力活動の画策扇動を停止し、北京五輪の破壊妨害活動を停止することもって、今後のさらに対話の条件を創っていくことを望む。
以上
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北京経由だと突然私の子供のころから嫌いな漢字の割合が多くなるようだ。
<愛国教育>の広がっていく様が良く解る。
<ダライ側には、祖国分裂活動を停止し、暴力活動の画策扇動を停止し、北京五輪の破壊妨害活動を停止すること、、>
自分のやってることをそのまま人のやってることにして、それをやめれば話合いをしてもいい、という気違いとどうやって話をすればいいのか!?
法王ならそれもできるのかもしれないか?。
第一中国の言ってるチベットとチベット人が昔からチベットと呼ぶ地理的範囲が大きく異なる。
話の初めからカム、アムドは除外されるのか!?
法王は中国の御出身なのか?
それでは今まさに命掛けのカム、アムドの人たちが可哀そすぎる。
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この前は日本のメディアを少々弱腰と悪口言ったりしましたが、このところ益々日本の新聞などの報道も質が良くなってきてるように感じます。
このブログの福島さんとか、共同通信の人たちも逆境のなかよく頑張って頂き感謝します。
共同の記者さん中国側からいじめ、嫌がらせ、一時拘束等受けながらの取材だそうです。
もちろんその他の日本の各社も頑張ってますよね、、、
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)