チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月24日
チベット国旗
チベットの国旗が世界で大流行の様子。日本でも品切れとか。
チベット国旗と言えば、昔はここ9-10-3の専売品のようなものだった。
彼らはチベットで87年、88年にデモを決心した時、小さな写真を元に僧院で苦労してチベットの国旗を作ったという。言わば国旗に命を掛けて行進したのだ。
その故に亡命して、ダラムサラに来てからもすぐに国旗を作り始めた。それを売って生計の足しにしていた。
そのころチベット国旗を一枚つくることは大変な作業を要した。
赤と青と黄色の布をミシンで縫い合わせるまではまあまあだが、問題は中央の二頭の雪獅子と宝珠。これらは最近まで手書きで描かれていたのだ。
買ってくれる人は稀だった。
写真はルンタレストランの前に掲げられた手作りの国旗です。
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この国旗の話をもう少し。
この前日本のルンタへの国旗の運び人を引き受けてくれた北海道のIさんからのメール。
「無事到着しました!お世話になりました。税関で荷物チェックがありました。リ
ュックから旗を袋に移していました。何かと聞かれたので、旗だと答えました。
売り物なら税金が掛かるというのです。チベットの旗ですよ。売り物ではありま
せん。というと、聖火ランナーの妨害とかに使われると簡単にとうせないような
ことを言ってきた。こんなことは、初めてですね。旗を持っているだけですよ。
それ以上言ってきたら、抗議しようと思ったけど、あっさり下がったので、それ
でおわりました。デリィでの報道の事もあったのでしょうが、日本という国も、
かなりやばいと感じました。まるで犯罪でも犯す人のような扱いでした。最後に
駄目押しみたいな、出来事です。きっちり報告します!!ブログを教えてくださ
い!報告前に、見ておきたいのです。よろしくお願いします。。。」
「もう一つ、こちらは嬉しかった事。インドの空港で、手荷物チェックの時、兵隊
さんかな?よくわからないけど(軍服ぽかった)が、わたしのバックのチベット
の旗とバッジを見て「あなたもチベットをサポートしているのですか?私もチベ
ットをサポートしています」と言ってくれました。私は「ありがとう!」と言い
ました。とても嬉しかった。同じような立場、しかも空港、このちがい(┬┬_┬
┬)。。。。この国は、危ない
」
もう一組やはり北海道にいるアメリカ人と日本人のカップルが国旗等チベットグッズを沢山もって北京!に降り立ちました。時間が有るからと外に出ようとして税関を通過しようとしたら、、見つかり、もちろん大騒ぎの挙句、すべてのチベットものを取り上げられたとのことでした。
このアメリカ人アイヌ擁護運動家でもあります。相当の立ち回りがあったようにメールで知らせてきました。
それにしても日本政府も世界も中国人まで、いつの間にかチベットの旗をチベットの国旗と認めて、その本来の用途に使ってる事はうれしい現象です。
ダラムサラでも今年ほど沢山の国旗を見たことがない。
ルンタハウスの前とゲートと屋上にもはためいている。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)