チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月23日
子供の絵
このところ続けて毎日のブログに、子供の絵が付けられてることにお気付きのことと思います。
これらの絵についてのお話をこれからします。
できればまず今日?アップした3月27日の記事をお読みください。
この日初めて難民一時収容所でヒマラヤを越えて来たばかりの子供たちが集まって絵を描いているところを見つけたのでした。
その時子供たちが描いてる絵に目が釘ズケになったことを覚えています。
つぎに4月2日の<再びネルレンカン>をお読みください。
この絵を日本で見た友人から強烈なメールがきました。「必ずや。これらの絵の展示会を日本でいや世界で開くべきだ」と。
数回訪ねるうちにかなり担当の人とも親しくなったし、その教室を仕切っているらしい有名なアマアデさんは9-10-3の委員でもあり、親しい間柄だし、と思いきって絵を貸してくれないかと頼んでみた。
しかしその時の話は「これらの絵にはイギリスのスポンサーが付いてる。いい絵はイギリスに送ることになってる。だから勝手に貸し出せないんだ」と。
ガッカリしたのでしたが、諦めきれずにそのまましばらくそこで子供たちが絵を描くのを見ていました。すると夢かそのスポンサーというイギリス人達がそこに現れたのでした。彼女達は年に1,2度ダラムサラとネパールの一時収容所に来るとのこと、今回も1週間だけの滞在だとか。それにしても、なぜ!?係りの人が連絡した様子もなかったが?何という偶然!
すぐに事情を説明して絵を借りれないかというと、即座にOKしてくれた。
「絵は返さなくていい。明日日本のために特別にこの子たちに絵を書かせよう。
明日は最後の日だし、、、そこに集まっていた10人ほどの子供たちはもう法王との謁見も終わり、学校も決まったのでもうすぐここを立つ。3月10日以来国境を越えて来るものが全くいない。ネパールの一時収容所にはもう一人も子供はいないと連絡が入ってる。だから当分はこの子たちが最後のこの絵のクラスの生徒なのですよ」
とも言ってくれた。
次の日彼女たちはいなかったけど、アマアデさんから確かに沢山の絵を貰った。
アマアデさんが特別に取って置いたという数枚の絵も貰った。
実はこの子たちはそれから数日まだそこにいた。そしてまたまた日本のためにタルチョに仕立てるために特別に布の上に絵を描いてくれた。
そのイギリスのグループはもう何年も前からイギリスを中心にヨーロッパ各国でチベット難民の絵の展示会を開いているとのことでした。
これらの子供たちの絵が語る真実には重いものがあります。
絵は数日前、すでに日本に到着しました。
これから日本にいる、友人たちの努力によりこれらのチベット難民子供の絵の展示会が東京その他で開かれるはずです。
計画が進み次第展示会のお知らせをいたします。
最後に実はこの子供たちの絵に関する記事がすでに日本の新聞に一つ出ております。
これはダラムサラに取材に来ていた共同の記者さんをここに案内したからです。
以下参考までに承諾を得て記事を転載します。
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チベット亡命政府が拠点を置くインド北部ダラムサラのチベット難民センターには、中国から越境してきたばかりの子どもを受け入れる教室がある。チベット語の勉強や自由な暮らしを望む親に送り出され、過酷な旅を乗り越えた子どもたち。ここで子どもたちが描く絵は、過去のつらい記憶と将来への希望だ。
▽越境
中国チベット自治区ラサ北方のナクチュ出身のツェリン・ドルジェ君(11)は、僧侶が両手を縛られ、四人の中国人から部屋で尋問される絵を描いた。壁には五つの拷問の道具。僧侶の横には「気絶した時に掛ける水」を入れた容器も。部屋の外では、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世の写真を前に祈る人がいる。
ツェリン君が亡命途中に拘束された際、目撃した「拷問部屋」や連行された僧侶の姿だ。
「自由で、中国人に見下されない人生を送りたい」。ツェリン君は二年ほど前に亡命の覚悟を決めた。両親は当初「危険だ」と反対したが、冬になって六十五人のグループでラサを出発。途中まで車で行き、最後は徒歩でネパール国境のナンパラ峠(標高約五、七〇〇メートル)越えを目指した。国境警備隊に見つからないよう夜間に雪の中を歩き、昼は岩陰で休む。峠を目前にした五日目。約百人の中国兵に囲まれ、拘置所に連行された。
▽再挑戦
大人たちはそこで厳しい尋問を受けた。ツェリン君は五日後に収容所に移されたが、約千人が収容されているのを見たという。大人は何度も殴られ、中には自殺を図った人もいた。
ツェリン君は約二週間で釈放されて家に戻ったが、あきらめきれず「捕まっても子どもが殴られることはない」と両親を説得。今度は車でネパール国境まで行く別ルートで越境した。ネパール側では手持ちの現金をすべて警察官に取られたが、三月三日に無事、カトマンズの国連の施設に到着。十五日にインドのダラムサラに送られた。
▽希望
越えてきた山々、僧侶に銃を向ける中国兵、ダライ・ラマ十四世がラサに戻り空に虹がかかる場面―。教室の壁にはほかにも、さまざまな絵が飾られている。教師のハモさん(26)は「子どもたちは厳しい旅を乗り越え、ここまで来るが(こちらから)聞かない限り、親に会いたいとは言わない」と話す。
子どもたちはダライ・ラマ十四世と面会した後に、同難民センターから別の難民学校の寄宿舎に入ることになる。
ツェリン君の両親はその後、警察から嫌がらせを受けてラサに移ったという。ツェリン君は「両親が心配」と案じる一方、「将来は教師になって、ダライ・ラマ法王がチベットに戻った時に、子どもたちを教えたい」と希望を語った。(ダラムサラ共同=舟越美夏)
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)