チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年3月27日
ネルレンカン(難民一時収容所)
朝方、ネルレンカン(難民一時収容所)に行って来ました。屋上に小さな子供たちが集まって、みんな絵を描いていました。その後ろには獄中27年のあのアマアデさん(アデ・タポンツァン女史)が、じっと座って子供たちの様子を眺めていました。
壁に貼られていた子供たちの絵があまりに衝撃的だったので、全部写真に撮りました。一部を送ります。いつか全部送って、日本で見せられるとといいと思います。
楽しい絵は残念ながら全くなくて、チベットでチベットの僧侶が殺される絵、デモでつかまり連れて行かれるところ、家族が泣いているところ、雪山を越える途中で撃たれるチベット人とかです。
そこには10人ぐらいの子供たちがいました。中の2人に話を聞きました。一番年長と思われるソナム・ノルブ君はナクチュ(アムド)の出身、14歳。5日前にダラムサラに着いたそうです。
去年の9月、一度ナンパラ経由で越境を試みたが途中で捕まり、2度目の今年はXX(うらるんた注:具体的地名を伏せます)経由で無事成功したそうです。
去年つかまった時の話を少し詳しく聞きました。
ラサに集まった越境グループは65人。うち子供は25~26人で、最年少は5歳、最年長は15歳だったそうです。ラサからティングリ(中国名定日)までは車で行き、そこから徒歩。歩くのは夜。暗がりで子供がはぐれたりしてなかなか進まない。5日目の昼、みんなで昼食をとっていた時、突然中国の警察隊が大勢現れ、全員逮捕されたそうです。
ティングリの拘置所に5日入れられ、それからシガツェの監獄に送られた。そこに半月入れられたあと、子供たちはみんな解放された。でも大人たちはそのままだった。そのとき1000人ぐらいのチベット人が同じように捕まって監獄にいるのを見たそうです。その後村に返されたけど、何度も警察が来るし、嫌なことばかりされるので、両親はラサに移り、自分もまたインドに送られたのだ、と話していました。
ラサの状況を知るすべはあまりないようで「今ラサが大変なことになっているとみんなが話してる。ラサにいる両親のことが心配だ」と話していました。
もう一人はカム出身のテンジン君(仮名)10歳。彼だけは僧衣を着ています。これから南のセラ僧院に行って勉強するのだそうです。彼も2度目でやっとここにたどり着いたのだそうです。
去年の夏、両親と3人、家族だけで、カイラス山の近くからネパールに越えようとしたのですが、何日か歩いた後、途中道で会った外人の旅行者から、この先にはたくさんの中国軍がいるから行かないほうがいいと言われ、諦めて引き返したそうです。
今年は自分だけがインドに行って僧になり、勉強するように言われて、また国境を越えようとした。今度は国境の近くまで車で行き、そこからは夜歩いた。途中大きな川に丸太が2本掛けてあるだけのとこを渡るときは怖かった。もっと小さい子は大人の背中に負われて渡った。中国の警察が追いかけて来るような気がして怖かった。お腹がすいた。外で寝るのは寒かった。とも話していました。
今はダラムサラに着けてうれしい、早くダライラマ法王に会いたいそうです。
お母さんに会いたくないか? 帰りたいとは思わないか? と聞くと、今帰ったら殴られるから帰らない。ちゃんと勉強するまでは帰るなと言われてる、とのことでした。
今現在も、国境を越えてくる難民は、子供だけでも毎年1000人近いのです。
写真1枚目は、僧侶がダライラマを非難するよう強制されているという絵です。中国の警官が法王の写真を踏みつけています。実際、この「ダライ・ラマを誹謗しないと僧でいられない」という制度に対する怒りが、今度の騒動の大きな原因のひとつと考えます。
もう1枚の絵は峠を越えるとき、チベット人が中国軍に打たれて倒れるという絵です。
ダラムサラでは今日も今からデモが始まります。 ハンガーストライキや寺での夜通しの念誦会も続いています。
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「顔分からないように」とモザイクかけたけれど、なんとも言えない気持ちです。やや眉をひそめて口元をかみ締め、何かに耐えるような表情でカメラの向こうを突き刺すように見ている視線とか、ほとんどが隠されてしまいます。10歳のあどけない子供にこんな表情をさせてはいけない、と涙が出てくるような写真なのです。モザイクかけてしまうとほとんど伝わらないと思うのですが、それだけ書き添えておきます。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)