チベットNOW@ルンタ

ダラムサラ通信 by 中原一博

2008年4月20日

ダライラマ法王ミシガン訪問中のお話より

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チベット難民子供の絵。人民服の中国人とチベットの子供が手を繋いでいる。「FRIEND」ダライラマ法王は昨日19日より今日までアメリカのミシガン州ミシガン大学で仏教講義を行われています。
内容はジェリンポチェ(ツォンカパ尊師)作の
テンデル トゥパ(縁起讃)>という(空性に通じる)縁起を説かれた仏への讃嘆歌
及びナーガルジュナ(龍樹菩薩)の<ジャンジュップ セムデル
という菩提心論を根本経典として法王が解説を行うといういつもの形で行われている。

つまり内容はいつもの<空と慈悲(菩提心)>のお話ですが、テキストからして今回は空性を通じた菩提心の話が中心となっているようです。

もっともアメリカに行って聞いてきたわけでなく、さっき私はRFA(ラジオフリーエジア)のチベット語放送でそのほんの一部を聞いただけです。
ちなみに法王のティーチングをどうしても聞きたいとお思いの方は、もうご存じの人の多いでしょうが
http://www.dalailama.comを通して英語、チベット語のライブで聞けるらしいですよ。映像も付いてる場合もあるそうです。ダラムサラのうちでは残念ながらネットが遅すぎてそんなことはできないのです。

法王にとってはすべて仏教の話なのでしょうが、取りあえずこれから政治に関連した法王の発言について書きます。
昨日講義の終了後記者会見が開かれたようです?その席で法王が話されたことの中から一つだけ。この話は3月1?日にダラムサラで行われたプレスコンフェランスの時にもされました。

<最近の中国との交渉>に関してです。

2002年から非公式のチベット・中国交渉が再開されました。

実りなく回を重ねるうち、2006年2月の第5回会談では中国側は始めて「ダライラマ側は独立を求めているわけではない」という認識を承認した。
一歩進んだことではあった。
しかし言葉とは裏腹にこの年の4,5月からはチベット内部の僧院、尼僧院に対する<愛国教育>が始まり、ダライラマ批判が強制された。
もっともこれもその時に始まったものではないが、その時から強化されチベット全土に及び始めたのだ。
そんな中2007年6月末から7月にかけて行われた会談においては、
中国側は終始非常に対立的に振舞った。

そして今この状況だ。」

このようにもちろん法王側から熱心に働き掛け続け、非公式であろうと対話は続けられてはいたのだ。
2006年の春、チベットに対しての何らかの方針転換があった可能性が高い。
それ以後、チベットの宗教と文化に対する締め付けは益々強くなっていったのだ。

海外に住むチベット人へ

もう一つやはり昨日の夕方、法王は集まったアメリカに在住するチベット人グループを前に短いスピーチをなされた。
「外国にいてもチベットの文化、宗教、言語に興味を持ち、学び、保持し続けることが大事だ。もちろんそれらは自他ともに利のあるものだらかそれをまもることに意味があるのだ。自由のない内地のチベット人さえ、必死にこれを守ろうとしている。自由の国にいるチベット人はもっとこれに努めるべきじゃないかね。

チベットの文化は慈悲に基づくものであるべきだ。周りの人に役立つものでないといけない。周りの人たちに好かれ<チベット人は(虫も殺さない)いい人達だ>と思われるような言動、行動をなすべきだ。」

「今自由の国にいるチベット人たちは中で起こってる真実を出来るだけ多くの人に正しく伝える努力を各自すべきだ」

「これからチベットはどうなるんだろう?とかの心配をする者もいよう。
<心配はなんのためにもならない、その災難が避けがたいものならば心配する用はない。もしその災難を回避する方法があるならそれを成すのみだ。」

「中国人を憎んではいけない。中国人も犠牲者なのだから。中国の指導者たちを憎んでも仕方ない。なぜならば、かのアーリアデーヴァ(提婆菩薩)が<四百論>の中で説いていらっしゃるように、彼らは彼らの煩悩(執着、怒り、プライド)によって心がコントロールされているばかりなのだから。真に憎むべきは人ではなく煩悩なのだ。」

と思いだす一部のみ記載します。

筆者プロフィール

中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro

1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)

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