チベットNOW@ルンタ
ダラムサラ通信 by 中原一博
2008年4月3日
地図にない国
2日前、朝から来たばかりの僧侶にインタビューするためにネルレンカンに行きました。
時間が悪かったのかドミトリーには僧は誰もいませんでした。そこに知り合いを訪ねてきた僧を2人見つけたので、早速話し掛けました。
2人ともアムド、青海湖の近くの小さな村の出身で、今は南インドのセラ僧院にいるそうです。1人は8年前、もう一人の若い方は2年前に亡命して来たそうです。2人とも故郷の僧院に居たそうですが、たびたび政治教育班が僧院に来て、ダライラマ法王を批判するよう強制されて、中国に居るのが嫌になった。今は自由の国でしっかり勉強できてうれしい、とか。
自分のいる時には大した衝突はなかったけど、こんなのを見たことがある、と話してくれたのは次のような話です。よく知ってるおばあさんはいつも首に法王の小さな写真を着けていた。ちょうど中国人の軍人が通りすがりにおばあさんのそれを見つけた。すぐに老婆の首から写真を引きちぎって、道に投げ捨て、足の裏で踏みつぶした。それを見て老婆は「フーチンタオの写真をよこせ! 今すぐ踏みつぶしてやる!」と叫んだとか。すぐに軍人はその場で老婆をめった打ちにして、どこかへ連れて行ったそうです。
若い方の家族から2日前、電話が来たとのこと。僧院に委員会の役人やら警官が大勢来て、法王の写真を僧院からすべて撤収せよと迫った。でも人数で勝っていた(約100人)僧侶たちはそれを拒否し、小競り合いの末彼らを追い返したそうです。
それで私が、法王の写真とか飾ってたの? と聞くと、「田舎だから寺でも普通のチベット人の家でも中国人が来ないところにはちゃんと飾ってあったよ」とのことでした。
それから、僧院長が警察に呼ばれ、従わないなら軍隊を呼ぶ! と言われたそうです。でも、それからどうなったのか? 電話が通じないのだそうです。きっと今回は僧侶たちはあくまで従わないと思う、ともいってました。
ネルレンカンの外に出ると偶然9-10-3(グチュスム)の副会長に会ったので、「何か新しい情報は?」と聞くと「昨日ベルギー経由で、ガンデン僧院に近いメトクンガでアニラ1人と青年1人が殺されたと言って来た。今名前を確認してるとこだ」とか。
メトクンガで数百人規模のデモが起きたのは確か3月17日のはず、まだ続いてたのかな? 今ごろ死者とは? 「どうして死んだの?」「そんなの撃たれたか、殴られて死んだに決まってるだろう!」と言われました。
だいたい9-10-3にはこのメトクンガの出身者が多い。村には元政治囚も多いはずだし、ここがやらないはずもなかったのでしょう。
その前にもう1人、最近12年の刑期を終えて亡命してきたカムの元僧侶にもインタビューしたのですが、この話はまた。
ルンタに帰って昼食をとっていた時。前に座っていた僧侶が漢字で詩のようなものを書いているのに目がとまった、連れが早速話し掛けてくれという。はっきり言って私は朝からアムド語とカム語ばかりの頭が痛くなる会話にお疲れのところだったので、食事中ぐらい休めよ! と思ったのでした。相手はアムドに決まってるし。ま、そこは押さえて、話掛けました。
彼はほぼ学者でした。
アムドのホッカというところの出身。
青海大学で中国史を専攻し修士まで行ったそうです。中国の歴史を研究するにしたがい、徐々にその嘘だらけの歴史に気付くとともに、チベットの真実にも目覚めたそうです。そうなると中国にいること自体が苦しみとなって来て、僧侶になろうと亡命を決心したそうです。ダラムサラに来てすぐに法王の下で僧侶になり、ダラムサラのツェンニーロプタ(仏教論理大学)に6年学び、さらにサルナートのサンスクリット大学の修士に今はいるそうです。既に著書が中国語で3冊、チベット語で2冊あるとか。今は学校の休みで台湾のグループにチベット語を教えているそうです。
彼が話すに、3月29日、家族から電話があった。「今日家に警官がたくさん来て弟を連れて行った。なぜかは判らない。25日から27日まで、街で大きなデモがあった。馬で走ったグループもいる。昨日もまたあった」と話してたという。
「馬でやったのか! 馬はいいね!」と私が言うと、彼は手で首を切る仕草をして「殺されるけどね」と笑っていいました。失言でした!
「弟はその地方ではちょっと有名な歌手なんだよ。きっとそれで連れて行かれたにちがいない」
「弟さんはチベットのこと歌ったりしてたの?」
「そうだよ」
「だからか」
こんな具合でして、ちょっと街で話を聞けば、今、この時点でもたくさん、本土ではデモが続いてることが判るのです。だのにTCHRDとか政府の広報とかは発表していない。これらの件についてTCHRDに確認しても「まだはっきりしない」とばかり言ってました。しっかりしろよな! と少し言いたい。「Radio Free Asia」が一番早いようです。番組の生放送中にカムやアムドから電話がどんどん入り、状況を伝えています。まだまだデモは終わってはいないのです。
まだまだ今も、銃を向ける中国軍に対し素手で立ち向かう人々がたくさんいるのです。みんな命掛けです。逮捕者はすでに2000人を超えると思います。
どれだけの拷問が今行われていることか! 想像するのもおぞましいことです。
筆者プロフィール
中原 一博
NAKAHARA Kazuhiro
1952年、広島県呉市生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業。建築家。大学在学中、インド北部ラダック地方のチベット様式建築を研究したことがきっかけになり、インド・ダラムサラのチベット亡命政府より建築設計を依頼される。1985年よりダラムサラ在住。これまでに手掛けた建築は、亡命政府国際関係省、TCV難民学校ホール(1,500人収容)、チベット伝統工芸センターノルブリンカといった代表作のほか、小中学校、寄宿舎、寺、ストゥーパなど多数。(写真:野田雅也撮影)